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◎若き日の感動が糧に 日本一周自転車の旅は、大学二・三年時に実行した東京から東海道・山陽道を往復した四国一周の旅、東北・北海道・信越地方を巡った東日本一周の旅、中国・九州・北陸・中部・紀伊半島・近畿地方を回った西日本一周の旅が主である。 四国一周の旅では、悪路と段々畑・山越えに苦労したが、室戸岬・足摺岬での太平洋の絶景、四万十川や四国山脈など、その美しい自然の景観に何度も感嘆した。また、ヤクザの立ち話の一団に自転車で突っ込んでしまい、どうなることかと身が縮んだが、逆に親分にごちそうになるという変わった経験もした。 なお、この旅以降は、地理学専攻生として各県の県庁に寄り、その県の自然や産業、県民性などを聞き取り調査(勉強)した。この旅については、夏休み後に大学で「四国の景観と産業」と銘打って一人で発表会を開催した。この会が縁で自転車部を創設したが、四十年たった今でも部は健在で、OB会も活発である。現在の大学では山岳部など硬派の部がだんだん消えていく中、貴重な存在となっている。 東日本一周の旅は、芭蕉の「奥の細道」をたどることから始めた。それには理由があった。貧乏学生だったので餓死しそうになったことがあったが、その時なぜか、高校で学んだ「奥の細道」が走馬灯のように浮かんでは消えた。そして「もし生き永らえたなら、自転車で奥の細道を走りたい」と思ったのである。 平泉に至り、特別史跡・特別名勝の毛越寺にある芭蕉真筆という句碑「夏草や つ兵わもどのもが夢の跡」の前に立った時は、今まで経験したことのないほどの大きな感動がわいた。その後の宮沢賢治の花巻、石川啄木の渋民村でも同様であった。特に啄木には、苦しい学生生活だったので心酔していて、函館、小樽、釧路、札幌とほとんどの歌碑を訪ねた。また、北海道や八甲田山、十和田湖、最上川などの大自然や東北、新潟の人々の純朴さなどにも心を打たれた。 西日本一周の旅は、まず広島で原爆ドームや資料館で戦争の恐ろしさ、悲惨さを実感した。翌年、原爆ドーム保存工事の資金募集に応じたところ、私の手紙が全三千通のうち記念誌に掲載される二十六通の中に入った。この記念誌は広島市長から送られてきたが、貴重な資料が多く、今でも大切に保存している。 九州は北海道同様に悪路が多く、難儀したが、自然と人情は素晴らしかった。また、島根県では春雪に悩まされ、三九度の熱を出したりして苦しんだが、木賃宿の優しい奥さんなどに助けられた。 二十歳前後だった若い時のこの経験は、ひと言でいうならば、雄大で、かつきめ細かな自然と、人間の温かさ、人間が知恵を絞ってつくり出した傑作な万物に感動することの連続だった。そしてこの感動は、私のエネルギーや思索の基となり、人間信頼の確証となって、その後ずっと私の中に生き続け、自身で納得のいく人生を送ることができた「一生もの」の糧となったのである。 (上毛新聞 2007年1月16日掲載) |