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◎壁を乗り越える力に スポーツで感動を与えてくれる選手を愛称で呼ぶことが多い。「イナバウアー」「ハンカチ王子」「平成の怪物」「ヤワラちゃん」。愛称の対象は、技の発案者やその人の雰囲気などさまざまだが、大きな感動も時代の流れとともに、何を対象とした愛称か薄らいでくる。 そこで、古賀稔彦選手や岡野功選手の愛称にもなった「三四郎」に着目してみよう。 「三四郎」は、富田常雄著の小説で、何回も映画化されている「姿三四郎」の主人公に由来する。紘道館を開設し、柔道の技ばかりでなく人の道を説く矢野正五郎を師範とし、柔らの道を究めんがため、厳しい教えに歯を食いしばって頑張る姿は団塊世代に勇気と感動を与えてくれた。この「三四郎」のモデルが西郷四郎、そして「矢野正五郎」のモデルが著名な嘉納治五郎師範であり、講道館柔道の創始者である。 師範の柔道における功績は素晴らしいものであったが、彼はそればかりでなく、日本体育協会を創設して初代会長となり、日本がオリンピックに初参加した一九一二年ストックホルム大会では、自らが監督として陸上競技の三島弥彦、金栗四三両選手を出場させている。 さらに、戦争で返上こそしたが、スポーツの祭典を日本で開催させるために、四〇年東京オリンピックの招致を成功させている。 師範が、柔道だけにこだわらず、広く、さまざまな競技や体育全体の活性化に力を注いだのはなぜだろうか? それは、技を磨くために心身を鍛えることが、どのようなスポーツにおいても共通し、本気でスポーツに取り組むことのできる環境をつくっていくことは、人間形成の上で大変、教育価値が高いからである。 夜の池の中でくいにつかまり、歯を食いしばって師範の教えを悟ろうとする三四郎と、それを部屋でじっと待つ師範の映像が思い出されるとともに、感動を与えてくれた選手のそこに至るまでの努力が、三四郎の姿に重なってくる。 荒川静香選手や斎藤佑樹選手も技術向上を目指す中で、どれだけ厳しい練習に耐えて心身を鍛えてきたか計り知れない。だが、たとえ一流選手になれなくても、スポーツで思い切り体を動かし、集団の中でもまれながら、心身をたくましくしていくことは大変、価値があることだと私は思う。そのようなことが将来、仕事や生活の中で大きな壁にぶつかったときに、「あの時の苦しさに比べれば」と、それを乗り越える力となる。また、やり抜いたという成就感は、さらに大きな力となって、生きていく上での自信につながっていく。 このように心身をはぐくむスポーツのステージを、できるだけ多くの若者に体験させてやりたい。そのためには、スポーツ環境を守り、さらに整えていくことが大切である。 そういうことのために、奔走したのが嘉納治五郎師範だが、彼の死後、柔道が六四年の東京オリンピックで公式競技に採用された。彼はどんなに喜んだことだろうか。 (上毛新聞 2007年1月3日掲載) |