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◎想像力で文化生み出す 乾いた冬の青空を背景に、葉を落とした木々の無数の枝が縦横無尽に広がり、絡まり合い、複雑な網目模様を描き出している。 クルミの枝は滑らかな曲線を描き、Yの字形の枝分かれを繰り返す。キリの枝はうねうねと自由奔放、まるで細かなひび割れのようだ。どちらも枝先の樹皮の色は灰色。冬の光に照らされて、強い陰影に縁取られたその姿は、まるで白骨の指のようだ。 緑の葉が生い繁る姿は生命力があふれて美しい。それに対し、葉をすっかり落とし、その骨格をあらわにした裸の姿には怖いほどの迫力がある。一言で言えば、「絵になる」のだ。そのせいか、私が作品に描く樹木は大半が葉のない裸の木である。絡み合う枝が描き出す線模様が、私の想像力を刺激するからだろうか。 また、天に向かって枝を広げ指先のような小枝をうねらせるさまは、どこか人のような生き物の形を連想させる。先人たちが、古木や大樹から妖怪や妖精の伝説を生み出したことも、なるほどうなずける。明るい満月の夜、青白い地面に伸びる木々の影の上を通り過ぎるとき、思わず足早になっていたりしないだろうか。 子供のころ、居間のこたつに首までもぐり込んで、ガラス戸の向こうに見えるクルミの枝をながめながら、よく空想遊びを楽しんでいた。今にも雪が降り出しそうな白い空の中で、枝は立体感を失い、白地に描かれた線模様となった。どこまでも続くYの字の繰り返しをあみだくじのようにたどってみたり、線の重なりの中に人の顔や動物を見つけ出してみたり。規則的な形の連続の中に、さまざまな姿を見つけ出しては、冬の日のぼんやりとした時間を過ごしていたものである。 白川静氏の著書『漢字百話』(中央公論新社)によると、「生は、草の生い茂る形で示される。一つの時期を過ぎて結節点が加えられると、世となる。世代の意である」という。本文に添えられた「生」を表す甲骨文字は、小さな苗木にも見える。その苗が成長し、枝分かれを繰り返す姿こそ、「世」を意味しているように思う。太古の人々は、目の前の草や木に「生」を感じ、文字を作り出したのだ。 一年という時節を基準に、目に見えて成長する草木は、最も理解しやすい生きる形だったのかもしれない。私たち人間は、ずっと昔から木を身近に感じ、持ち前の想像力で文化を生み出してきたのだろう。 春にはあでやかな花をまとうサクラの木も、今は針のような細い指もあらわに静かにたたずんでいる。ふと見上げると、横に張り出した黒い大枝がこちらに向かって覆いかぶさってきそうで、少し恐ろしげである。しかし、その指先には、すでに小さな「生」が体を堅くしてしがみ付いている。花芽である。サクラだけでなく、ほかの裸の木々も同様だ。骨ばった指先の向こうに春を垣間見られたようで、冷たい空気の中にいて、心だけ少し温まった気がした。 (上毛新聞 2007年1月1日掲載) |