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不動産鑑定士 須田 知治さん(伊勢崎市田中島町)

【略歴】明治大商学部卒。家事・民事調停委員、総務省行政相談委員(伊勢崎支部長)、伊勢崎市都市計画審議会委員、明治大校友会県支部長などを務める。

定年制の影響

◎憐憫の情忘れてないか

 私の子供のころ、農民や商人、職人は死ぬ時まで働いているのが普通であった。世の中全部が貧しかったことにもよるが、それでなくても日本人は生来仕事が好きで、働くことに幸せを感じ、生きる証しにしていたようである。老人の稼ぎとはいえ、家計の足しには随分と寄与していたようで、これによって権威を保持することができた。

 言葉や行動の中にも人生経験から培われた重みがあった。子や孫は折に触れ、言葉の真意や含蓄の深さを知るにつけ、老人の今更ながらの知恵の深さに敬服した。家庭や社会の秩序、仕組みなどはこうした積み重ねによって伝えられてきた。

 それがいま、急激な勢いで破壊されている。老人は生きがいであった仕事を奪われ、存在感を喪失し、居場所を探しあぐねてぼうぜんとしている人も少なくはない。その原因として定年制度がもたらした影響は大きい。

 会社や組織の中に定年制度が採用されるようになってから久しいが、当初は今ほどに社会に与える影響は大きくはなかった。個人主体の第一次産業時代には会社や組織は少なく、定年制度は内部にとどまり、外部に波及することはなかった。それが製造業やサービス業が発達するにつれ、会社や組織の数が増大すると個人的なものは淘とう汰たされていった。農民、商人、職人の多くが廃業の憂き目を見るか、会社勤めをするかの転換を迫られた。

 定年制度は全国に浸透するようになり、人材の大量廃棄が始まった。「後進に道を譲る」という言葉を大義名分として、画一的で容赦のない定年退職が至極当然のごとく行われるようになった。定年齢といっても健康や能力の格差には雲泥の差があり、一様ではないはずである。それが健康に恵まれ、働く意思と優れた能力を持ちながらも仕事を奪われていく。何と悲しい現実ではないか。評価の高い人材については、それなりの処遇も考えられてしかるべきはずなのに、多くの場合「前例がない」ことを理由にして、その途みちが断たれている。

 近々、定年齢を迎える人はかなりの余命年数を残しながら見放されていく。あとは年金を頼りに生きていけばよい、と会社や組織は冷淡である。しかしながら、わずかな年金だけで生き永らえていくことは容易なことではない。生活の足しに仕事を求めるにしても、退職組に残されているものは少なく、しかも賃金は安い。定年退職によって本来、生じるはずの労働力不足は外国人によって十分補てんされている。だから中高齢者が携わってきた仕事にまで手が伸ばされる。中高齢者は仕事を奪われ、邪魔者扱いされて家庭内で孤立する。

 老人犯罪も今後は増加しよう。年金や経済的条件に恵まれている老人ばかりではない。明日の糧も、あてどもなく、一人さまようその先は犯罪かのたれ死にしかないと決めてかかる老人もあろう。世間は老人が仕事を持たないことに平然とし、憐憫(れんびん)の情を忘れている。定年制度に順応してしまったせいであろうか。






(上毛新聞 2006年12月17日掲載)