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◎本能で感性呼び覚ます かつては多くの家にあった日本の楽器、箏(こと)や三味線もいまでは珍しく、実際に見たこと聴いたことがないという人が意外に多い。もはや日本の伝統音楽は、特別なものになってきてしまったのだろうか。 日本の四季は、日本人の感性を実に豊かに育はぐくんできた。花鳥風月を愛めでる心、わびさびの世界観。四季折々の美しい日本の風景にとけ込む音は、やっぱり日本の楽器であり、特に箏、尺八の音だろう。 元来、日本人は日本の伝統音楽の音を、言葉や虫の声などの自然界の音と同じように認知する本能というものを持っている。 研究によれば、日本人は左脳で言語音、子音、母音、感情音、ハミング、動物・虫・鳥の声、邦楽器音、計算などを処理し、右脳で音楽、西洋楽器、機械音、雑音を認知する。しかし、西洋人は左脳で言語音、子音、計算を認知し、右脳の方で音楽、西洋楽器音、機械音、雑音、感情音、母音、ハミング、動物・虫・鳥の声、そして邦楽器音を認知するという。つまり日本人と西洋人ではまったく音の認知の仕方が異なっているのだ。 ここに日本人特有の文化があって、固有の感性が生まれてくる。理性と感情、そして自然を日常生活に密着させ、同じ言語脳で本能としてとらえているから、邦楽器には何か人の琴線に触れるような、心安らかになる響きがあると感じられるのかもしれない。特に箏などは、ぽつりぽつりとどこからか聞こえてきても、洋楽器のように騒音にならず、懐かしく自然に体の中になじんでくる。まさに私たちの持っているDNAが、自然に本能として受け入れているからだ。 ところで、邦楽の稽古(けいこ)には口唱歌(くちしょうが)というものが付きものである。それは多分、楽譜を用いない時代、記憶のための手段だった。例えば、箏だったら「六段の調べ」の冒頭部分を、「テーントンシャン、シャシャコーロリン、チントンコーロリンシャン」と箏の音を言葉にかえて歌う。三味線であれば、「トーンツドンロン、ドツテツツツ、トントンツドンロン」と口三味線を歌う。旋律を歌にしてしまうことで、出てくる音型、メロディーが容易に覚えられる。こうした練習方法があるということは、やっぱり邦楽器音を左脳の<言語脳>が認識しているということなのだろう。 もう一度あらためて、日本の音に耳を傾けてみてはどうだろう。箏曲(そうきょく)はお正月だけのものではない。その気になって調べてみれば、結構、邦楽演奏会は開催されている。まずは有名な「春の海」、それから最古の古典器楽曲「六段の調べ」、箏歌(ことうた)の入った「千鳥の曲」など、ポピュラーな曲から聴いてみてはいかがだろうか。分からずとも毛嫌いせずに、できれば二度、三度と、試しに立ち止まって聴いてみてほしいと思う。きっと眠っていた日本人としての感性が、本能としてよみがえってくるはずだ。 (上毛新聞 2006年12月15日掲載) |