視点 オピニオン21
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群馬大社会情報学部教授 森谷 健さん(前橋市鳥取町)

【略歴】同志社大卒、関西大大学院修了。2003年から現職。専門は地域社会学・地域情報論。観音山ファミリーパークで活動するNPO法人KFP友の会の理事長。

変わらない日常

◎発見し課題が見えるか

 私は、平成二年に群馬大学に赴任しました。その引っ越しの際のこと、テレビでもコマーシャルを流しているある引っ越し業者に電話を入れました。

 「群馬までお願いしたいのですが」

 すると、電話口でひそひそ声が聞こえました。

 「群馬ってどこや?」「青森の少し下とちゃうか」

 たしかに群馬は、青森の少し(?)南にありますが、群馬はあまり知られていないようです。

 半年遅れで妻も群馬にやってきました。当時、大阪生まれ・育ちの妻は何回か言っておりました。

 「群馬の人はけんかしているみたいにしゃべる」

 大阪人同士の会話も、関東人から見れば、けんかをしているように見えますが…。その妻も、今では群馬の友人と話す時は「…なんさ!」「…かい?」を連発するようになりました。

 私たちは毎日、前日とあまり変わらない日々を送ります。今度の一週間は、前の一週間とあまり変わらないものとなるでしょう。旅行をしたり、家族と外食を楽しんだり、年中行事をしたりと楽しいこともありますが、それは、変わらない日常から一時的に離れる楽しさでもあります。

 変わらない日常は、「変わるはずのない日常」や「当たり前の日常」「分かりきっている日常」という意識を生みやすいのではないでしょうか。

 変わらない日常は、けんかのような群馬弁をなにげなく話している自分や、よく知っている群馬=県外の人もよく知っているはずの群馬=がつくっていくのではないでしょうか。

 そして、変わらない日常は、自分の暮らす地域社会は変わるはずはない、当たり前のもの、と考えるようになるのではないでしょうか。

 地域づくりの話の中でよく出てくるフレーズに「地域づくりの三者」があります。地域づくりには、若者、ばか者、よそ者が必要だという話です。

 若者、ばか者、よそ者とは、どんな人なのでしょうか。変わらない日常は、「変わるはずのない日常」ではなく、「当たり前の日常」でもなく、「分かりきっている日常」でもない、このように見ることのできる人たちなのではないでしょうか。彼らには、変わらない日常に発見や課題を見ることができ、変わった後の地域社会を見通すことができていて、変えるためのコストや困難を乗り越える強い意欲をもつ人々ではないでしょうか。

 自分の日常生活を、そして地域社会を、自明視しないで、他のものや望ましい姿と比較することで相対化し、変えることのできるものとして対象化しましょう! と言うことは、たやすいことです。しかし、実際に行うことはとても難しいことでしょう。このような強い気持ちを、いとも簡単に萎なえさせるくらい、変わらない日常は心地よいのではないでしょうか。まるで、冬の朝の布団の中のように。






(上毛新聞 2006年12月9日掲載)