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◎もう一度見直す機会を 群馬県人なら誰でも知っている「お蚕さま」。この小さな生きものは、お金を生み出す大切なものとして、馬や牛と同じように一頭、二頭と数えられている。 良質な糸を求めて改良を重ねたことにより体が大きくなり過ぎて、すでに人の手を介さないと自力では生きていくことができない。何も言わずに健気(けなげ)にひたすら糸をはき続けて美しい繭となり、一生を終えていくこの「お蚕さま」が、いま存続の危機を迎えている。 全国一を誇る群馬県の養蚕業だが、後継者不足によって養蚕農家の戸数が減少し続けている。明治から昭和三十年代にかけては、およそ七万―八万戸で推移していたが、平成十四年九百三十九戸、十五年八百三十八戸、十六年七百四十一戸、そして十七年には六百五十戸。ここ数年は、年約百戸ほど減少している。 六十五歳以上の高齢者夫婦が大半を支えている現状からみても、減少には歯止めがかからないだろう。単純計算しただけでも、数年後には厳しい現実が迫ってくる。 この七年間、群馬県の養蚕業の写真を撮り続けて忘れられない出会いがある。片品村にある針山神社に出掛けた折、古い民家のたたずまいと庭先に咲くツツジの花が目にとまり、突然だが撮影の許可をお願いした。通された畳の大広間には黒光りした神棚があり、床の間には掛け軸と日本酒と、ろうそく一本が置かれていた。 簡素なその空間に今までに経験したことのない雰囲気を感じた。六十代半ばすぎだろうか、ご夫婦二人で暮らしているという。「代々お蚕を飼っていたけれど、家を取り壊すので、記念に写真を撮ってください」と頼まれた。 女性は手足が少し不自由に見受けられたが、ろうそくに火をともし、床の間の前に正座した。見知らぬ者同士が、レンズを通して静かに対たい峙じする。人生の歴史の中の一瞬の記録を私に託す、そのことの重大さに胸が熱くなり、手の震えが止まらなかった。私の手元にはその時の写真と、貴重な体験の記憶が残っている。 長年、日本の文化と暮らしを支えてきた養蚕業が、後継者不足により記憶だけの世界になってはあまりにも寂しい。六百五十戸残っている今だからこそ、存続のために何かできることはないか。 東京で写真展<繭の輝き>を開いた際、来場者から「まだ養蚕が続いていたんですか」と、驚きの声を多く耳にした。すでに過去の存在となっている「お蚕さま」をもう一度見直すきっかけとして、例えば、身近にある古い写真を集めて、<「お蚕さま」とともに暮らしたわが家の記録>と題して東京で写真展を開催してみてはどうか。 写真には忘れかけていた昔の記憶が、思いもかけない形となって映っている。代々、養蚕を受け継いできた地元の人の顔の見える写真展は、新たな発見と感動が広がり、一大ドキュメンタリーとなるに違いない。 写真を通して若者や定年を迎える団塊の世代に興味を持ってもらえたら、大きな力となるのではないだろうか。 (上毛新聞 2006年12月5日掲載) |