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◎まちづくりの糸口に 春夏秋冬、山紫にして水清きところ、桐生―。 キバナアキギリ、キンミズヒキ、ヤブカンゾウなどのように、一般には名も知られていないような多くの草花が、生活に結びついて桐生の山野には生き続けている。あるときはお総菜として、お茶として、そして民間薬として利用されてきた「山の幸」。何となく通り過ぎていけば、道端にはえるただの雑草、そんな草花たちが桐生の自然を支えている。希少価値ゆえに貴ばれる華やかなカッコソウやナルカミスミレなどだけでなく、名も知れぬような草花までを大切な「山の幸」として認めて付き合ってきた「多くの先達の知恵や生活の型」が桐生の姿のようである。 このような桐生の人々の生き方は街中にあってもよく分かり、華やかなひと振りの振り袖の中に、脈打つ多くの職人の心意気を見ることができる。桑栽培から始まって蚕の飼育、そして一本一本の繭糸から生糸を紡ぎ出し、反物にしたのは遠く室町時代、小倉御厨(おぐらのみくり)の仁田山紬(にたやまつむぎ)の時代までさかのぼれるという。山地あっての生糸である。江戸時代に取引された「山中の平糸」は、旧勢多東村や旧黒保根村生まれの高級生糸のことだという。 また、生糸から着物にするまでの複雑な工程の中に多くの職人がかかわっていた。糸屋、撚屋(よりや)、練屋(ねりや)、染め屋、張り屋、繰り屋、整経屋(せいけいや)、星屋、機拵(はたごしら)え、紋切り屋、筬屋(おさや)、杼屋(ひや)、ろくろ屋、指し物師、棒屋、引き込み屋、織り子、機械直し、よじり屋、整理屋、機大工、鋳物屋、機料屋(きりょうや)、お針屋、縫い子などなど。完成されたきらびやかな振り袖の外観だけに目を奪われがちだが、名を出すことのなかった多くの、力強く生きる人々がこの桐生を「織物のまち」にしてきた。 山野草を大切にするように、「山の幸」にそれぞれ名前があるように、隠れた職人たちを表舞台に紹介し、彼ら自身の声による「知恵や生きざま」をみんなに知ってもらい、「将来に残す運動」が、あすのまちをつくる糸口になるに違いない。知の蓄積と継続は次世代への土壌となり、私たちの住むまち、この桐生発の知と技が育つのだから。 私は一九七五年から十一年間、ブラジルに滞在した。複合農業による生産性の向上を目指した農業牧畜研究所の設立予定地は、南回帰線の内側に位置するが、年間平均気温一八度の避暑地のような地方にあった。原野の開拓、コーヒー・大豆・トウモロコシ・陸稲の栽培、そして養豚に肉牛飼育。牧場面積五千五百ヘクタールは、東京の山手線の内側より広い。五千頭の放牧牛は、ブラジル国内の経営規模から算定した最低飼育頭数である。 標高千メートルのブラジル高原の一角にある小さな田舎まち、初めてついた信号機をじーっと見つめながら「クリスマスの新しい飾りはきれい」とつぶやいた、このまちに住む私の親愛なる人々の日常を織り交ぜながら、異国の姿も紹介していきたいと思う。 (上毛新聞 2006年11月23日掲載) |