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◎盗られたくない風景 もう少しすると、「満九十歳落葉茶の花生まれ月」と俳句を書いた詩人、故伊藤信吉さんの誕生日が来る。 以前、この欄(七月二十五日付)で「伊藤さんが愛した前橋の風景」と紹介した広瀬川の「石川橋」に行ってみた。すると、その周囲に「前橋市」と書いたロープが張られている。驚いて友人たちに聞き回った。道路を広げる工事らしい。「まさか、なくなることはないだろう」と書いたけれど、橋は壊されるのだろうか。そして、周囲の風景は変わってしまうのだろうか。 この橋の真ん中に立つと、せせらぎの音が大きくなる。川面に近いので、橋脚にあたる流れの音が感じられるのだ。上流の両側にあるどの家にも塀などはなく、カキの木や草むらに鳥が来るのが見える。晴れた日には川の真ん中、その向こうに榛名山が見える。下流は両側からの大きなケヤキの枝に覆われている。風が出てくると、木漏れ日は川面でさらに鋭く反射し、奥の竹林がゆさゆさ揺れる。この橋にいると、チョウやカゲロウ、小鳥たちが橋を越えたり、両岸を行き来するのが見える。それは木々に囲まれた橋だからだ。 川は曲がりながら木々の中に入ってゆくので、その先は見えない。国道を越えれば、自分が暮らす町だと知ってはいても、見えない川は歩き続けたくなる見えない町を流れているような気がする。 建築家の友人はブログに「石川橋からみた広瀬川の界隈(かいわい)の様子は室生犀星や萩原朔太郎が遊んだころの面影を強く残しているとのこと。しかしまもなく作り変えられる。何の名物も無い前橋、こんな小さな橋一つぐらい前橋が華やかだったころの記念に残しておいてもよさそうなものを」と書いている。 私たちは大切な「風景」を発見することはできても、建物や道路のように造ることはできない。「風景」は人間の暮らしと風や光や土などが溶け合った「風土」がつくるものだからだ。前橋だけのことではないはずだ。 伊藤さんは十六年前に顔なじみの煉瓦(れんが)倉庫が取り壊されたとき、「大事な物を盗(と)られたような空白感を私は覚えた」「前橋市の手で、市内の煉瓦倉庫を一つでも保存できぬものか」と書いている。 煉瓦倉庫は今でも日本中にあるだろう。こんな感じの川岸も、橋も、日本中にあるだろう。世界遺産は無論だが、名所旧跡にもならない。だけど、空襲で燃えた糸の町・前橋で、それを免れた一角の、朔太郎が、伊藤さんが歩いたこの橋と風景はここにしかない。橋がなくなり、周囲の木が切られたら、伊藤さんは煉瓦倉庫のときと同じように、思わず「ない!」とつぶやくのだろうか? 伊藤さんと親しかった詩人に電話した。「石川橋の風景を亡き者とすることに反対です。二度ほど連れて行ってもらいました」とはがきが来た。 橋渡る腕に風の図鑑あり 真由美 「風の詩人」伊藤さんへの追悼句である。 私は橋とその周囲の風景を盗られたくはない。前橋市は「まえばしSNS(市民ネットワークシステム)」(http://www.maebashi−sns.jp)を始めているが、これを使って、いろんな人と意見の交換をしてみたい。 (上毛新聞 2006年11月3日掲載) |