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高崎健康福祉大学非常勤講師 三井 久味子さん(高崎市貝沢町)

【略歴】高崎塚沢中校長などを経て高崎市教育研究所長。現在、女子栄養大(埼玉)、高崎健康福祉大の非常勤講師。エイズ教育の啓発に取り組む。

現代社会のひずみ

◎憂い嘆きながら議論を

 手紙か遺書か、いじめが原因だったのかどうか。北海道滝川市の市立小学校で昨年九月、六年生の女子児童が教室で首をつり、意識不明のまま今年一月に死亡した件で、一年間かけてやっと結論が出た。同市教委学校教育室長が主張していた手紙は遺書で、学校でのいじめが原因だった。同市長・教育長ともども謝罪に訪れ、遺影にぬかずいた。

 しかし、校長は結論が出た後も「今も、いじめだけが原因であるとは考えておりません」と苦悩の影を落とした。「どんなことが考えられますか」との問いかけに、数秒の無言が何とも複雑な心境を吐露していた。校長は何を語りたかったのか。言葉をのみ込んだ数秒に、もしかしたら真実が隠されていたのではないだろうか。こちら側に投げかけた無数の疑問が現実の厳しさのはざまで揺れ続けてきた精いっぱいの静かな叫びのようにも聞こえた。

 それにしても、「私のこと嫌いでしたか、気持ち悪かったですか…」という遺書を残して十一歳の少女は、どんな状況にあったにせよ、自分で自分の命を絶ったことに変わりがない。一人の命が終わったのだ。ここの背景を重く受け止めなければならないと思う。

 二十一世紀に入り、IT(情報技術)に代表される生活への影響は社会の変化を急速に進ませ、特に青少年を翻弄(ほんろう)し続けている。矢継ぎ早に起きる事件も低年齢化し、耳をふさぎ、目を覆いたくなるものばかりである。「心はどこへ行ってしまったのか」。憂えているだけでは解決にはならない。事件が起きた時のテレビのワイドショー番組は本質を遠ざける傾向にあり、私たちの嘆きの域を出ないのが現状である。

 家庭の崩壊、人間の絆(きずな)の希薄化・コミュニケーション能力の低下、規範意識の欠如等々、そして凶悪化している青少年の事件、現代社会のひずみを挙げればきりがない。しかし、ここまできた現状を嘆き、憂い、どうしたらよいかと、どれほどの人々が向き合って議論し、解決策を模索しているだろうか。もしかしたら、全国民が明快な解決策を希求することにいささか疲れてきているのかもしれない。

 私は「ほっとけない」といら立つ。そして、どうしたらよいかと友人に持ちかけ、議論を繰り返す。取りあえず「ほっとけない」と憤った感情を意見交換することで鎮める心の整理なのかもしれないが、残念なことに解決の道筋は見いだせず、嘆きに帰着する。

 二年前、長崎県佐世保市で起きた十一歳の同級生による殺害事件は日本中を震撼(しんかん)させた。テレビ番組にゲスト出演した作家の五木寛之さんは「誰に聞いても解決策はないだろう」とコメントし「強いて言えば親鸞の<悲泣>の心を取り戻すことしかない」と付け加えた。

 私は、こうしたとき嘆きを伝播(でんぱ)させ続けることを望みたい。誰もが真摯(しんし)に事件を受け止め、論議を巻き起こすことが大事だと思う。家庭はもとより、学校でも職場でも、生き方や生命にかかわる問題として受け止め、憂い嘆きながら意見を言い合ったらどうだろう。さらに、生命のいとおしさを<悲泣>を通して学ばせたらどうだろうか。






(上毛新聞 2006年11月1日掲載)