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◎挫折した自己愛か フランスの劇作家ジャン・ジュネの作品に『女中たち』という戯曲があります。奥さまに仕える姉妹のお手伝いさんを描いた作品で、二人は奥さまが留守の間、奥さまのドレスを着て、毎晩「奥さまと女中ごっこ」の芝居を演じています。姉妹の奥さまに対する二律背反的な感情が肥大化されて描かれている作品です。 この劇は、一九三三年にフランスのルマンで実際に起きたパパン姉妹事件を素材にしています。当時、二十八歳と二十一歳の姉妹が、町の資産家のお手伝いさんとして住み込みで働いていました。模範的な奉公人だった二人が、ある日の夕方、ささいなことから女主人とその娘に襲いかかり、生きたまま目をえぐり出し、ハンマーでめった打ちにして惨殺したのです。そしてこの残虐な儀式の道具をきれいに洗い、自分たちの身体を清めて一つのベッドに入り、「ひどいことをしちゃった」と語り合ったというものです。 裁判官に対して二人はいかなる動機も、犠牲者への憎悪も述べません。精神鑑定でも異常は発見されません。二人は陪審団によって有罪を宣告されるのですが、再鑑定の結果、精神科医は二人を責任能力がないと認めます。 この事件は多くの人々に強い印象を与え、文学分野でさまざまな作品を生みました。『女中たち』もその一つですが、フランスの精神科医ジャック・ラカンは「パラノイア性犯罪の動機・パパン姉妹の犯罪」という文章を書いています。その文章で、この事件を<二人であることの病>と呼んでいます。親子や兄弟姉妹などの親しい二人の間で妄想が紡がれ、やがて異常な兆候や犯罪に至るというのは、犯罪史では珍しくないパターンのようですが、ラカンはこの犯罪をナルシシズムの病として分析しています。 姉妹が極めて共生的な関係にあり、自己のうちのナルシシズムを互いに相手に投影し、それを自己の像として取り入れることで相手の中で自己の人生を演じ、二人の間で自己愛的な関係をつくり出してしまったと考えるのです。 自己愛から他者への愛、これが思いのほか困難なものであることは、心理学者でない私たちにも想像がつきますが、パパン姉妹の事件はこの困難さを象徴的に示しているのだと思います。最近、頻発する異常な事件を見るときに、過剰な自己愛に閉じこもって、愛を他者へ向けられないことに起因する事件が少なくないように感じます。 併せて、今日の日本のような高度に発達した資本主義社会を生きる私たちは、いや応なく厳しい競争社会を生きることになります。ビジネスに身を置く私たちは、周囲の尊敬や称賛を得るためにますます激しい競争に身をすり減らすことになり、自分自身の価値基準を周りの人の目に映った自分の姿に求めるようになります。 これは、まさにナルシストの価値基準と同じです。実際、ナルシシズムには成績を上げるための原動力となる面があるのかもしれません。しかし、競争社会では全員が勝者になるわけではありません。近ごろの抑うつからの引きこもりやうつ病を、挫折したナルシシズムに結びつけるのは短絡的すぎるでしょうか。七十年前の事件が古くないと感じられるのです。 (上毛新聞 2006年10月18日掲載) |