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高崎経済大学非常勤講師 吉永 哲郎さん(高崎市竜見町)

【略歴】国学院大文学部卒。高崎経済大、前橋国際大の非常勤講師。源氏物語を読む「蘇芳(すおう)の会」主宰。

教科書に育てられる

◎国語教師

 四十年余り前、高校で国語の教師をしていたころのことです。「教科書を教える」「教科書で教える」という二つの教授法についての論議がありました。前者は限られた範囲を丁寧にという意味がありますが、悪くすると統一された教育になりかねない。後者は教科書の教材をより発展させ、新しい問題意識をもつことができる―と、私は思いました。教科書は、生徒と教師とが現代の課題をとらえる情報源の一つとして考えていましたので、私は後者の立場で生徒と向き合っていました。

 現代では時代錯誤ととらえられることかもしれませんが、私は十七歳という一度しかない青春の時を迎える生徒たちに、「青春とは」の課題を考えるのにふさわしい教材を、教科書の中で探していました。その時々に、これぞと見いだした教材は、今も忘れることはありません。

 印象に残っている詩に関した教材を挙げますと、一年生用では、詩の魅力や「愛」の意味、「生」への疑問を問いかけながら島崎藤村の詩を解説した、木原孝一の「『初恋』について」の文章です。この教科書では「初恋」の詩のほかに、「つひに、新しき詩歌の時は来たりぬ」で始まる「藤村詩集序」や「千曲川旅情の歌」があり、清新な生徒の感情をはぐくむとともに教師の感性の覚醒(かくせい)につながっていました。

 二年生用では、優れた詩は沈滞した感情生活に美と活力と誠実の意識をもたらしてくれると説く、鮎川信夫の文章「詩と感情生活」と、朔太郎の「竹・中学の庭・青樹(あおき)の梢(こずえ)をあおぎて・艶(なま)めかしい墓場」の詩です。この時、詩の鑑賞を言葉だけでなく版画によって生徒に表現させました。朔太郎の詩魂に触れた生徒の版画は、鈍くまひした私の感性を激しく揺さぶりました。この版画は、一人の生徒が長年保管していましたが、先年、前橋文学館に寄贈したと聞いております。

 三年生用では、詩の世界は現代の非合理性を対象にして成り立ち、常に極限状況下にいることを意識して、現実に対して批判していくことが詩のモチーフだとする、村野四郎の「断崖(だんがい)からの郷愁」の文章が衝撃的でした。特に文中では、なぜ詩を書くか、どんな詩を書きたいかなどの課題について、自作の「惨憺(さんたん)たるあんこう」の詩作過程に触れながら、丁寧に述べられていました。この文章と併せて「漂泊者の歌・泳ぐ人・遺伝・告別」の朔太郎の詩も載っていました。

 大学受験、英語優先、学力低下などを背景とした現代の教科書と安易に比較することはできませんが、少なくとも私が扱った教科書には、十七歳の青春の課題を問いかける教材が多くあり、その中心に朔太郎の詩が存在していました。十七歳、その青春真っ盛りの若者に、いまさら教科書で何ができるのかと、一笑にふされそうですが、私は教科書で育てられた一人の教師であることに、誇りを感じています。






(上毛新聞 2006年10月13日掲載)