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◎考えるゆとりが欲しい 「夫に飽きた中年の人妻。相手をしてくれれば、一晩数万円差し上げます」との出会い系サイトに面白半分で応えた青年にすぐ、弁護士と名乗る人から電話があった。 「こういうやり取りは、法に触れることです。裁判所に呼び出しがあります。法律的な手続きをしてあげますから、至急手数料を支払ってください。支払わなければ、大変な結果になります。至急、今、次の住所に二十五万円送金してください」 この青年は震え上がり、天罰とあきらめ、保険証片手に、簡単に借りられる貸金業の事務所の窓口に走った。無人の窓口は監視カメラ付きで、日曜日の夜なのに簡単に金を借りられた。すぐに郵便局の本局へ直行。時間外だったが、現金為替で送金した。 一件落着。でも、割り切れない彼は、私に「恥ずかしいことですが…」と電話をしてきた。 「それは振り込め詐欺だ。すぐ、警察に行きなさい」 「夜、十時です」 「警察は二十四時間オープンだ。振り込め詐欺の相談だと言いなさい」 勇気を出して、彼は警察へ行った。若いお巡りさんが相手をしてくれ、すぐに郵便局へ送金停止、差し戻しの手続きをしてくれた。携帯の番号をすぐに変えるようにとサゼスチョンがあった。翌日、現金為替は戻ってきた。すぐに貸金業者の窓口へ行き、全額返済をした。手数料八百円ですべては解決した。 疑わず、言われた通りにする模範的な市民教育を受けている私たちは、義務を忠実に果たす良き市民になる訓練だけを社会的に受けている。 交通法規関係の講習会に行けば、いかに忠実に交通法規を守るかが重要で、法規を守る人こそ模範的市民である。 消防関係の講習会に行けば、火事を出さないように心掛ける人が優秀な市民である。 権利を主張し、こうしてくださいと要求すれば、うるさい人として敬遠される。そういう雰囲気の中で、考える暇を与えられず、パッと義務の履行に出られるような体制が準備されている。 いま一度、考え、要求されていることが正しいことか、間違っていることかを考えるゆとりが欲しい。 いろいろなことが完備されると、人間は危険か安全かを判断する思考能力が低下するみたいだ。 あるグループに遠足ではおにぎりでもよい、弁当持参とお知らせをした。幾人かの親からの問い合わせは、おにぎりを何個持たせたらよいかであった。自分の子が何個ぐらい食べられるかを判断する前に、定められた規定の順守を考える。 義務の前に権利があり、義務を伴わない権利はない。 (上毛新聞 2006年10月12日掲載) |