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柏レイソル編成・チーフスカウト 小見 幸隆さん(神奈川県川崎市)

【略歴】東京都出身。サッカー元日本代表。69年読売クラブ入団。84年天皇杯優勝、85年現役引退。92年U―17日本代表コーチ、01―02年東京ヴェルディ1969監督。昨年末までFCホリコシ(現・アルテ高崎)監督。

日本のサッカー

◎個の力を軽視する傾向

 仕事でブラジルに行ってきた。冬から夏への移り変わりの時季。サンパウロに到着した日は、前日までの暑さがうそのように寒く、あらためて地球の裏側まで来たことを実感した。かと思えば、三日もしないうちに真夏の暑さとなり、極端な静と動が混在するブラジル独特のサッカーに重ねてしまった。

 サッカーの世界では、プレースタイルを見れば選手を取り巻く環境は分かるが、さまざまな顔が存在している。

 ブラジルはその中でも特別である。一億二千六百万人の日本の人口に対し、ブラジルは一億八千六百万人の人口である。驚くべきは、日本のプロサッカー選手が約一千人なのに対し、ブラジルではその十倍の約一万人が存在していることだ。日本に限らず、ブラジルと比較できる国は世界にない。また、そのレベルの高さは、少々昔の日本の野球に例えれば容易に分かる。子供から大人まで一度はプレーした経験を持ち、良質で水準の高い知識を備えている。

 多民族国家ゆえにさまざまな文化や知恵が入り乱れ、特別な情熱を加味し、ブラジルのサッカーを醸成させている。日本のサッカーは果たしてどうだろうか。そこで、どうしても気になるのが指導者の存在である。ブラジルのサッカーや日本のプロ野球に比べ、歴史も実績も乏しい日本のサッカーにおいて、指導者の示す方向性は非常に重要である。

 戦前から国民的なスポーツとして歩んできたプロ野球とは絶対的に違う背景を補うかのように、徹底した指導者のマニュアル化を押し進める日本のサッカー界。組織化や効率化を促す上での恩恵はあるが、一番肝心な事柄をないがしろにしているのではないか。一般社会にも通じる疑問点が生じる。つまり、個の力を軽視する傾向が日本のサッカー界にまん延しつつあるのだ。サッカーの試合において、スライディングで相手の足をけったり、ひじ打ちが入ったりすることは日常茶飯事である。

 日本の指導者なら反則したことをののしり、してはいけないと指導する。もちろん、反則自体は許される行為ではない。しかしながら、国際試合などで見られる反則や時間稼ぎをするような悪賢さを、日本の指導者や選手はどのように考えるのであろうか。

 友人の運転する車に同乗し、深夜のサンパウロ市内を走っている時、交差点の信号が赤であるにもかかわらず直進してしまったのである。信号の指示通り交差点に止まると、建物の隅に隠れる泥棒の餌食にされることがあるからと友人に説明され、変に納得してしまった。次の瞬間、信号が青だというのに車は減速、友人は左右を見回して加速したのだ。そう、赤信号で直進してくる車がいないか確認したのである。

 マニュアルやルールに縛られてばかりでは生きていけないのである。交差点では誰も助けてくれない。個の判断能力とスキルが重要なのである。分かっていない十一人より、分かっている十一人がいた方がよいに決まっている。この話を日本のサッカー指導者や一般社会の人々はどう考えるだろうか。






(上毛新聞 2006年10月9日掲載)