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元小学校長 松沢 清さん(千代田町萱野)

【略歴】豊島師範学校(現・東京学芸大学)卒。館林第二小校長などを歴任。県教委指導主事、県特別学級設置校長協会長、館林教育相談専門委員などを務めた。元みよし幼稚園長。

親とのきずな

◎人生体験を子供たちに

 人は生きていくために、食べなければならない。食べるためには働いて収入を得るのが普通である。

 時代の流れとともに生活様式も変わってくる。

 私の小学校時代(昭和四年入学)、農村地帯では農繁期に学校を休みにして、子供も農作業に参加した。

 田植えをするために、馬に馬ま鍬ぐわを引かせ、父はそれを押して田を耕す。満遍なく耕すために、馬の鼻とひもでつながった竹ざおで馬を誘導する。鼻どりといって、これが私の仕事である。私が羽目を外すと、母が田植えをできなくなる。そこで、父は私を厳しく注意した。

 しかられたときは悔しかったが、父の母に対する思いやりを感じ、しっかりしなければと思った。田植えが終わると「さなぶり」といって、ごちそうを作り、家族全員でお互いの労をねぎらい、楽しいだんらんの集いを持った。

 また、養蚕も盛んで、私の家でも百貫(三百七十五キロ)ぐらいの繭をとり、大きな収入源であった

 上蔟(じょうぞく)のときは二階や階下も蚕室になり、私たちは蚕のふんのにおいをかぎながら部屋の片隅に寝た。蚕のことを「おこさま」と呼んで大切にしていた母の姿が心に残る。

 冬の農閑期には、父は俵を編んだり、縄をなったりして働き、母は機織りをして小銭を稼いでいた。母の手はあかぎれで荒れていた。

 両親からは「農機具は農民の命だ、大切にしろ」「汚いものを汚いと思うな、大切な肥料になる」「お金は節約しなければならない」と農民根性をたたき込まれた。

 私たちは、親の働く姿を見て育ったのである。現在の子供は、親の働く姿を見ていないことが多い。時代が違うとはいっても、親は厳しい社会を生き抜いてきた。自分の人生体験を子供たちに伝えるべきだと考える。

 私が小学四年生だったと思うが、母が私たち子供に親の役割を説いてくれたことを思い出す。それは父の誕生日を前にしてのことだった。

 「○日はお父さんの誕生日です。お父さんは農業のほか材木業もやっていて、仕事を頼まれると、暑い日でも寒い日でもいつも一生懸命に働いて、大工さんと住みやすい家を造ろうと努力している。私は、お父さんが汗水流して働いて得たお金を節約して大切に使っている。おまえたちにも、もっと小遣いをあげたいと思うが、我慢してほしい。お父さんがこれからも元気で働けるように、家族みんなで感謝の気持ちを込めて、お父さんの誕生日に食事会をしましょう」

  子供だった私たちは、父に対する感謝とともに、母の温かい心遣いに深く感動した。このように、両親の役割や生きる厳しさを優しく伝えることで、子供は生きる知恵を学び、親とのきずなを深めるのである。






(上毛新聞 2006年10月1日掲載)