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専修大学教授 高木 侃さん(太田市石原町)

【略歴】中央大学大学院修士課程修了。縁切寺満徳寺資料館長。専攻は日本法制史・家族史。博士(法学)。著書に「縁切寺満徳寺の研究」(成文堂)など。

満徳寺(中)

◎外国にも熱心な研究者

 今年一月二十六日、満徳寺と並ぶもう一つの縁切り寺、東慶寺の前住職・井上禅定老僧が九十五歳で逝去された。謹んで哀悼の意を表したい。約四十年前、老僧は鶴岡八幡宮の緑深い裏山が開発されると知り、「御谷(おやつ)」と呼ばれる森をめぐる保全運動に鎌倉の文化人の先頭に立って活動された。日本のナショナル・トラスト運動のはしりとなり、古都保存法の制定につながった。これらの文化的活動や日常の宗教的活動のほか、縁切り寺の研究者として画期的な研究業績を挙げられた。

 老僧の研究以前には、戦前の穂積重遠博士の研究があるだけで、一九五五年、東慶寺開山覚山尼(かくさんに)の六百五十年遠忌を記念して、小山書店から『駈入寺(かけいりでら)』を出版され、さらに八〇年に春秋社から改定版といえる『駈込寺(かけこみでら) 東慶寺史』を松岡宝蔵落成記念として出版された。東慶寺の研究書として、いまだこれに勝るものはない。

 私がお許しを得て東慶寺現蔵文書をはじめ、知られる限りの史料を活字にした『縁切寺東慶寺史料』(八百八十ページ)を平凡社から出版したのは九七年であったが、この史料集は大きな副産物をもたらしてくれた。史料集の目次に基づいて「東慶寺縁切文書」が鎌倉市指定文化財になり、二〇〇一年には一足飛びに国の重要文化財に指定されたからである(満徳寺の文書は、すでに六一年に県の重要文化財に指定されている)。

 老僧亡き後、縁切り寺研究者は国内では私一人になってしまった。とはいえ、外国に縁切り寺について業績のある研究者が八人いる。最終的に国家権力を背景に離婚を強制する特異な制度は、外国とくに離婚ができなかったキリスト教圏では極めて興味あるテーマに違いなく、研究者はいずれも北米に在住している。著名な三人について述べよう。

 まずモレル夫妻。モレル教授はかつて南山大学で学生を教えていたが、妻の金子幸子さんと共同研究で縁切り寺、東慶寺の紹介に努められた。この六月、長年の東慶寺研究を一書にまとめて出版された。

 外国での満徳寺研究の第一人者はダイアナ・ライト女史である。九三年、満徳寺研究のために来日し、旧尾島町教委のAET(英語指導助手)として中学校で教えながら、一年間満徳寺の研究をした。滞在中、かならずしも日本語は上達しなかったが、研究熱心で、質問しては職員を困らせることが多々あった。帰国後は、トロント大学から満徳寺の研究で学位を取得した。現在は西ワシントン大学の準教授として、日本史を講義している。

 私は後継者を育成しなければと思っているが、これだけ外国で縁切り寺研究がなされていることは一安心である。国内外で引き続き研究者が現れると思われるので、私は両寺の史料集を出版しておいた。なお、外国の研究者たちによって、縁切り寺が広く世界に知られ、さらにできれば太田市でこれらの研究者が一堂に会して、世界に向けて「縁切り寺シンポジウム」を開催するのが私の夢である。






(上毛新聞 2006年9月21日掲載)