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◎教師の叫び忘れないで 八月は、広島原爆記念日(六日)、長崎原爆記念日(九日)、終戦記念日(十五日)と、戦争と平和を考える記念日が連続してありますが、高校教師であった四十年前の夏休み、群馬の教師として恥ずかしい思いをしたことがあります。福岡の友人宅を訪れた時の九日の朝、友人の小学生の娘たち三人が、招集日だといって登校していきました。不思議そうな私の表情をみて、友人は「六、九、十五日は登校日になっているよ」と、当然のようにいうのです。 そして、「登校日には、担任教師からそれぞれの日にかかわる戦争と平和に関した話がある」と言葉を重ねました。そのころ、群馬での全校招集日は、給料日と重なる日が多く予定されていました。今と違って、のんびりとしていた時だったといえばそれまでですが、こうした招集日についての意識が、こうも違うのかと感じました。教師の夏休みの在り方は、私が過ごした時とは大きく変わり、今は、生徒指導や進路指導を中心にした夏休みの招集日を各校で計画していると思われます。 戦争といえば、耳が少々ご不自由な国語の先生のことを思い出します。『伊勢物語』の昔男は在ありわらのなりひら原業平を想定した歌物語であることはよく知られていますが、その主人公を「ナリヒラサマ」とおっしゃりながら古典の授業をされていました。「業平が」などと敬意表現など用いずに、ひたすら古典を分かりやすく、現代に近づけたいと考えて授業をしていた私にはショックでした。 耳のご不自由なことは、軍隊で上官から殴られ、鼓膜が破れてしまったためだと、そのことを見ていた方から、後に教えられました。病気ではなく、戦争での出来事だったことを知ったのですが、ご本人は一言も口にはお出しにはなりませんでした。詩人・萩原朔太郎の母方にゆかりのある先生でした。 この七月、長野県安曇野市にある「臼井吉見文学館」に行ってきました。臼井吉見先生(一九〇五―八七年)は、終戦直後の四六年一月に雑誌「展望」を創刊し、その後、編集者・著述・文芸評論などで多彩に活動されました。『安曇野』『獅子座』などの作品を読まれた方が多くおられると思います。 その臼井先生が、私が勤めておりました高崎女子高校の生徒会・同窓会に招かれて講演されたことがありました。その一日、先生のお世話をさせていただいたのですが、あのぎょろ目で私を見据えられ、「ここに来たのは、金井美恵子の出身校だと知ったからだよ。それと、高崎にはちょっと縁があってね」と話されました。金井美恵子の「展望」に発表した『愛の生活』が、第三回「太宰治賞」の次席になったのは、臼井先生が強く推薦したことで知られています。 「高崎の縁」については話されなかったのですが、先の文学館の年譜で「一九三〇(昭和五)年、高崎連隊に入隊、幹部候補生になる。十二月除隊」と、分かりました。 この八月、教師の一番の恥は「教え子を戦場に送るな」の叫びを忘れることです。 (上毛新聞 2006年8月12日掲載) |