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弁護士 小林 宣雄さん(前橋市荒牧町)

【略歴】沼田高、中央大法学部卒。54年司法試験合格。58年から地裁判事を務め、83年前橋地裁の裁判長就任。90年依願退官。群馬公証人会会長。02年から弁護士。


じゃんけんの精神

◎政治の世界にも通用

 手のひらを握ったのを石、開いたのを紙、人さし指と中指の二本を出したのをはさみとし、はさみは紙に、石ははさみに、紙は石に勝つものとして勝負を争う。これによって事を行う順番を決めたり、対立事が決着したりする。「じゃんけんぽん」の合言葉とともに、当事者一同が一斉に手を差し出して勝負する。決着がつかないときは、「あいこでしょ」と言って決着がつくまで続ける。じゃんけんは、古い昔からわが国に通用してきた風習だ。

 今ではあまり見かけなくなったが、昔は児童、殊に女児の間にはやった「石けり」という遊びがある。地面に棒などで幾つかの丸や四角の区画を描き、最初の区画の前にそれぞれ自分の平たい小石を置き、じゃんけんをする。勝った者が自分の石を目標の区画にけり入れ、片足でその中に跳び入って一勝負を終える。遅れをとった者も次の勝負で勝てば、先行組の区画に仲間入りして次の勝負をする。これを繰り返して、誰が先に最後の区画に跳び入るかを競う。

 こうした「じゃんけん」勝負は、広くわが国一般社会でも通用していた。

 不思議なことに、じゃんけんでは、勝っても負けても異議というものが出ない。勝った方は、歓声を上げて勝利を喜ぶが、そうかといって別におごり高ぶるわけでもなく、淡々として次の局面へと向かう。一方、負けた方もため息をつきながらも、あっさりと敗北を認め、これまた淡々として次の局面での勝利を目指す。争い事にしこりを残すことがない。和をもって決着しようとする日本古来の麗しい風習といえる。

 この風習は、民主化されたわが国社会においても広く通用してほしいものだ。例えば、政治の世界。一般国民から選挙によって選出された国会議員が国政の中枢を担っていろいろな政党、会派に属し、特定の政治問題について各種、各様の議論を交わし、全員一致でなければ多数決で決着をつけ、これを前提にして次の政治課題の協議、解決に移る。これが民主主義政治の基本理念であるが、ある意味ではじゃんけん勝負と共通するものがあるといえないだろうか。

 もっとも、民主政治は多数決主義を基本原則とするから、例えば、はさみ対紙の勝負であっても、その数いかんによっては後者が前者に勝利する場合もあろう。が、この修正原理をきちんと導入しさえすれば、それ以外のじゃんけん精神は政治の世界にも立派に通用すると思われる。

 こうして、一つの課題で一応の決着がつけば、勝ち組も負け組も淡々としてこれに従い、互いに遺恨を残さないことだ。どんな政治課題にも賛否の意見はつきものだ。そのいずれにも相応な理由がある。だから、結局は多数決ということになる。しかし、負け組もいつか同じ課題で勝ち組になれるかもしれない。じゃんけん勝負と同じように、淡々として次の局面に向かえばよいのではないか。






(上毛新聞 2006年8月5日掲載)