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◎さりげなく話し合おう 親と子の確かなかかわり方は子供の育つ力を見極めて、はぐくみの心を持って育てることである。 私は「我慢をはぐくむ」と題し、前々回(五月五日付)と前回(六月八日付)の本欄で、幼児期と小学校三、四年生ぐらいの口答えの多い時期の子供とのかかわり方について述べた。今回は、中学二年生ごろの子供とのかかわり方について述べてみたい。このころの年代は反抗も強く、話し合い方が大変難しいが、重要な時期である。 このころの年代は、ささいなことで反抗し、自分の部屋に閉じこもることがあったり、「腫れ物」にさわるようで、どのように話し合ったらよいか途方にくれて、不安に陥ることがある。 中学二年生ぐらいの子供と話し合うためには、このころの子供の心情を知る必要がある。このころの年代は、非常にデリケートで、子供自身も不安である。子供の身になって、いくつか具体的に挙げてみると―。 自分はもう子供ではない。親や教師から指示命令されると反抗したくなる。しかし、まだ社会的経験も少なく、自分の考えていることについて不安もあるので、親はどのような考えを持っているのか、話し合ってみたいと思うことがある。だが、ささいなことで親と話し合うことは、自分はもう子供ではないというプライドが許さない。 激しく反抗して、一人になった時、どうしてあんなに反抗してしまったのかと反省し、二度と反抗しないと考えるが、翌日、また反抗してしまう。そんな自分を「ふがいなく」思うことがある。 このような自分の言動を、親や教師や友人は、どのように見ているか気になる。 子供はこのように、自分の弱みを見せないようにしているが、心は揺れており、不安定な一面もある。 子供との接し方は、指示的、非指示的な方法がある。反抗的な態度が強いときは指示的ではなく、話し合うのがよい。あらためて話し合う場を設けるのではなく、さりげなく話し合うことである。 大変古い話だが、私が中学生(旧制)のころ、母親と話し合ったことが強く印象に残っている。 中学までの通学距離は約十キロある。冬の西風の吹く日など、自転車で風に向かって走るのは大変である。母は農閑期に機を織って小銭を稼いでいた。私が「ただいま」と帰ると、「清、西風で大変だったろう」と言って機織りの手を休め、二人で火鉢を囲んで雑談した。 母は「私は小学校四年しか行っていない。学歴もなく教養もない。だが、私は働かなければ食べていけない。人に迷惑をかけない。感謝の心を忘れない」というようなことを身の上として生活していることを話した。また、私の学校の様子や、何になりたいのかということなどを聞いてくれた。 二人で火鉢を囲んで話し合った光景が、今も鮮明に心に残っている。母の手は「あかぎれ」で切れていた。働く母親に深く感謝の念を抱いていた。日常生活の中に、親と子のきずなは深く結ばれている。 (上毛新聞 2006年7月15日掲載) |