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◎言葉が日本で独り歩き フランスのルイ十六世の王妃マリー・アントワネットが非業の死を遂げたことは、多くの人の知るところである。オーストリア・ハプスブルク家の絶大な権力を誇る女帝マリア・テレジアと神聖ローマ皇帝フランツ一世の末娘として生を受け、ルイ十六世十六歳、マリー・アントワネット十五歳という若い政略結婚のカップルが誕生した。 狩猟と錠前作りが趣味で、全く国王らしからぬ夫。マリーも結婚当初はフランス語で生活し、模範的な礼儀作法で過ごすという貴婦人ぶりを発揮していたものの、夫には物足らず、次第に生活が派手になり、洋服・貴金属などの装飾品に埋もれ、欲望におぼれていった。 市民の怒りはそんな王室に向けられ、夫妻はともに処刑され、その短い生涯は時代に翻弄(ほんろう)され、数奇な運命をたどった。 私たちの人生もグローバルに時代の推移をとらえたり、歴史を振り返ってみたとき、個人の力ではどうすることもできない時代という渦の中の営みであることに気づく。多かれ少なかれ、誰もが翻弄されながら生きてきた。 しかし、この現実を考えたり、感じたりすることが許されないほど私たちの日常は煩雑である。民衆の台頭により処刑された二人も、国王・王妃でなかったら、私たちと同様に時代という怪物に押し殺されることに気づかず、人生を終えることができたに違いない。 シャンソンの祭典「パリ祭」の案内がいろいろなところから届けられる。また、インターネットの「パリ祭」のページもぎっしりと埋まり、各方面で七月十四日を前後してコンサートが開かれる。フランスではこの日を「パリ祭」とは呼んでいないという。あくまでも「革命記念日」である。 さまざまな歴史の変遷を経て、自由と平等・人権を勝ち取った現代社会の「記念日」は、一七八九年七月十四日、バスチーユ牢獄の襲撃で始まった。つまり、ルイ十六世王朝に反撃した平民や貴族を中心とした革命の火ぶたが切られた日である。 意味不明のまま飛び交う言語、正しく知り得ないことでも何となく知ったような錯覚にとらわれながら事が過ぎていくという実態…。情報過多の現代社会に生きている私たちが陥りがちな“言葉の独り歩き”に気づきながらも、疑問を持つこともない。 私の中の「パリ祭」もその一つだった。フランス革命を題材にしたルネ・クレール監督の映画『巴ぱ里り祭』が日本で上映された。「パリ祭」が通称になったのは、この時からである。 それ以来、「パリ祭」は日本で独り歩きを始めた。フランス王制転覆の事件、浮き名を流したマリー・アントワネットや錠前作りのオタク、ルイ十六世のこと、フランス革命記念日、日本で上映された映画『巴里祭』。この関連性を深く理解しないまま、きょう十四日、高崎のとあるレストランで「パリ祭」と銘打った私のシャンソンディナーコンサートを開く恥ずかしさを実感している。 (上毛新聞 2006年7月14日掲載) |