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下仁田自然学校長 野村 哲さん(前橋市三俣町)

【略歴】長野県生まれ。65年前橋に移り住む。群馬大学社会情報学部教授、学部長などを歴任。上毛新聞社刊「群馬のおいたちをたずねて」など編著書多数。


下仁田自然学校

◎感動は理科好きの原点

 下仁田自然学校(以下、自然学校)は一九九九年六月に創設された。子供たちの理科離れはもとより、自然界に触れる機会が少なくなっている現状をどうしたら改善できるか、考えた結果の出発であった。

 自然学校は、高崎から上信電鉄に乗って、終点の下仁田駅で降りると、子供が歩いて十五分の下仁田町自然史館に置かれている。創設準備から軌道に乗るまでの間、下仁田町の神戸文夫町長(当時)、同町教委の里見哲夫教育長(同)、佐藤元教育課長(同)ら皆さんのご理解とご協力があったからこそ、自然学校の今日があるのである。

 自然学校は小中高校、大学で理科や地学を教えていた教員・退職者、下仁田町在住の若者など、総勢十五人で運営されている。下仁田町の女性二人を除いて、全員が無給で働いている。自然が好きな人たちばかりである。

 下仁田町の大地は、日本でも数少ない地質学発祥の地で、古くから今日に至るまで、著名な学者が研究に訪れており、学生の地学実習、卒業研究の場としても利用されている。自然学校の東、南、西にかけては、よその土地から移動してきた地塊が、その後の浸食で、中国の桂林のような形になった根なし山が林立している。また、北側には青緑色の三波川結晶片岩が河原の中に青岩公園と呼ばれる小山をつくっており、西牧川と南牧川はこの小山の北壁にぶつかって合流する。

 南牧川は古生代・中生代にできた大地を流れてくるので、各種各様の岩石が転がっている。一方の西牧川は新生代の火山岩地帯を流れているので、安山岩と凝灰岩の礫れきが多い。合流地点へは、自然学校から歩いて数分で行けるので、河原の石の観察には最高の場所である。

 南牧川と西牧川が合流して鏑川となり、南から何本もの支流を合流させながら高崎に至る。この恵まれた環境を、鏑川の流域に住んでいる子供たちが学習できるよう願って、「かぶら川の石図鑑」を執筆・刊行し、流域のすべての小中学校を訪問して同書を紹介、好評をいただいた。

 同書には、下仁田町を中心に、小学生とその両親、近隣市町村の人たちなど、延べ百五十一人の参加を得て、河原の石の種類や形・大きさなどを調査した成果が収められている。子供たちの中には、名前を覚えた赤褐色のきれいな石をあたかも母親が乳児を抱きかかえるかのように、うれしそうに抱いている姿に接し、この様子を本に表現しようと努めた。自然界の事物に対して抱く子供の感動が、子供が主体的に取り組み、かつ理科が好きになる原点である、と信じられるからである。

 ノーベル化学賞を受賞された白川英樹さんが、二〇〇〇年十一月二日の朝日新聞に手記を寄せている。「子供たちの理科離れが心配されているが、子供たちの多くは生来理科好きで科学に十分に興味をもっている。それを伸ばすのは大人の責任である」と。






(上毛新聞 2006年7月8日掲載)