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◎安心は人とのつながり 春の彼岸の中日の朝、母の右手と左足がしびれて動かなくなったという電話があった。はやる胸を鎮めながら、「言葉はしゃべれる?」と受話器の向こうで慌てている私の息子に聞いてみる。多分、脳梗塞(こうそく)の症状かもしれないので、母を安静にし、今日の救急病院に連絡をと頼んだ。折り返し電話があり、藤岡総合病院に向かうという。私は何を持つでもなく、そのまま車を走らせた。高崎から高速道で四分、藤岡インターから五分。わずかな時間の中で、母との数え切れない出来事が不安と織り交ざって、よみがえった。 母は八十七歳になる。生涯を自己犠牲と慈愛、そして自立を人生訓のように貫いてきた。母の口癖は「あなたたちが皆さんのお役に立てる仕事ができるよう、健康には注意するよ」。これは、もう一つの信条でもある。頼り切りだった最愛の夫を亡くした母は、失意のあまり外出さえできなくなっていた。子供たちはみんな職業を持ち、社会的に自立していた。母を取り巻く環境が子供には頼れないことを悟らせ、自分で生きていく方法を見つけ出した。 込み合っている待合室のソファに私の息子と座っている母は、しっかりした口調で「忙しいのに悪かったね。清光(私の長男)が居てくれて助かったよ」と感謝とねぎらいの言葉をかけてくれた。問診とMRI(磁気共鳴画像装置)の結果、脳幹が傷つき、軽い脳梗塞という診断だった。 この母の出来事は、とりたてて問題にすることでもない。どこの家庭でも起こっている当たり前のことである。しかし、母の異変の時、傍らに息子が居てくれたことで速い応急処置が可能になり、発病の悪化を防げる結果になった。このことでは、息子に感謝している。 私は、五十歳になるころから今日まで十数年間、数え切れないほど救急病院のお世話になってきた。決まって夕暮れから深夜にかけて起こる症状は、過呼吸から始まり、不整脈、急に高くなる血圧と、すべてストレスが起因と診断された。救急病院まではタクシーや友達の車、時に自分で運転して行き、救急車の依頼はためらった。「ピィポ、ピィポ」というシグナルが深夜に響きわたる迷惑を考えただけで、共同住宅に住む私は依頼することができなかった。 老若男女を問わず、一人暮らしが増えている現実の中で、私のような戸惑いを事が起こるたびに感じている人が多くいるのではないだろうか。深夜でも、ある所にSOSをし、安心して命を預けられる場所が必要なのではなかろうか。例えばサイレンを鳴らさない救急車、行政指導で対応する地域住民のネットワーク、お助けNPO(民間非営利団体)、人々の善意のボランティア等々。もしかしたら、この中の幾つかは既にあるかもしれない。だとしたら、誰もが知りうる広報がほしいものだ。 母は隣人に恵まれ、「私は幸せ者だよね」と感謝することが日常になった。家族の形が大きく変わった現代社会にあって、一人暮らしの人たちはリスクを背負っている。安心した営みのある生活への対応策は、人のつながりしかないと思っている。 (上毛新聞 2006年6月29日掲載) |