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◎命を大切に、明るく 私が初めて死に対する恐怖感を持ったのは、中学一年生のころだったと思う。学校から普通に帰り、その後、何でそうなったのか忘れたが、急に座り込み、今何で生きていてここにいるのか、死ってどんなことなのか、どこに行くのか、いやだ、死ぬのは怖い―と思い、頭を抱え込んでうずくまっていた。 どのくらい時間がたったのか…。母が電気をパッとつけ、「何をしているんだ」と言うまで気付かなかった。外はすっかり夜になっていた。私はしばらくぼうぜんとしていたが、「何でもないよ」と言って、普通の生活に戻った。今でいうパニック状態だったのか、今もその部分のことは、はっきりと覚えている。 私は看護師になり、さまざまな死に直面している。病気、事故、自殺…。苦しんでいる人、穏やかな表情の人、悲しそうな人、そうした人たちも好きこのんで死んでいくわけではないと思う。 また、母親が言うことを聞いてくれなかったため、子供がかんしゃくを起こし、「ママなんか死んじゃえ」と言ったとする。そして、もし母親が実際に死んでしまったら、その子は深刻な精神的打撃を受けるだろう。「ママなんか死んじゃえ」と言い、だいぶたってから死んでも、打撃を受けることには変わりない。子供は母親が死んだのは一部にしろ、全部にしろ、自分のせいだと思い込む。いつまでも自分に対して「私のせいだ」「私が悪かったんだ」と思い悩むことになる。むやみに人に「死ね」とは、絶対に言ってはならないことである。 思春期のころは勉強、進路、家族のこと、恋人のことなど、悩みが多い。友達に同情したり、恋に悩んだり、身体のことで悩んだりして、死に急ぐ人が多過ぎる。生きていたくても、生きられない人もいる。健康な身体を親にもらい、何の不自由もなく育ってきて、ちょっとしたことで命を粗末にする。もっと命を大切に、命は大事なものだと思ってほしい。 命というものは一度だけで終わるもの、絶対によみがえれない。それだけに価値がある。当然、人生も一度だけで、やり直しが利かないが、途中で気が付いて人生を変えることはできる。 元気なときは、あれもやれ、これもやれと命令している夫でも、年を重ねていくうちに「俺(おれ)より先に死んではいけない 例えばわずか一日だけでもいい 俺より早く逝ってはいけない 俺の手を握り 涙のしずくふたつ以上こぼせ…愛する女は生涯お前ただ一人」と歌っているさだまさしの『関白宣言』のようになるのだろう。 人間の心の働きについて多くを学ぶことで、自分の存在のどこが一番人間らしい側面であるかが分かってくるだろう。そして、心はより豊かになり、おそらくは自分の死に対する不安も少なくなるのではなかろうか。命・人生を一日一日、大切にし、明るく生きたいものだ。 (上毛新聞 2006年6月28日掲載) |