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8・12連絡会事務局長 美谷島 邦子さん(東京都大田区)

【略歴】正式名称は日航ジャンボ機御巣鷹山墜落事故被災者家族の会。事故で二男の健君を亡くした。現在、精神障害者共同作業所の施設長も務める。精神保健福祉士。


日航安全啓発センター

◎生かされた被災者の命

 今年四月、羽田空港の整備地区に日航の安全啓発センターがオープンした。そこには、日航ジャンボ機墜落事故の機体残骸(ざんがい)の一部やつぶれた座席が残されている。事故調査の経過や原因、そこから得た教訓がパネルに記され、事故を後世の人に残すための場所がやっと確保された。遺族が二十一年間、風化と戦いながら訴え続けてきたことの一つがこれだった。残存機体の保存と公開を拒否し続けていた日航が短期間で、保存と公開に踏み切った。「失われた命を生かしてほしい」「事故から一つでも多くのことを貪欲(どんよく)に学んでほしい」という遺族たちの思いがやっとかなった。

 衝撃でほとんど原形をとどめない座席。何人かの方は、ここで家族あてに遺書を残した。ダッチロールの最後の三十二分間はどうだったのだろう。二十一年前のあの日がよみがえる。助けるすべはなかったのだろうか。教訓は生かされているのだろうか。家族を亡くした無念さは、二十年以上たっても遺族の胸の中で色あせることはない。月日を経るごとに増す悲しみもある。でも、教訓が形になれば、それは亡くなった方々への鎮魂となり、遺族の気持ちが癒やされ、生きる力になる。

 安全啓発センターが設置されることになった背景には、安全諮問委員会の柳田邦男さんや、畑村洋太郎さんらの力が大きかった。昨年十二月二十六日、安全諮問委員会は日航に対し、提言書を提出した。そこでは、事故品の保存の重要性を明確にしている。この提言書を作成するにあたって、会の座長である柳田邦男さんは短期間に精力的に動かれた。日航の現場の多くの社員とのヒアリングを何度も重ね、問題点を詰めた。また、私たち遺族の声にも耳を傾けてくださった。

 その中で遺族は、日航に二度と事故を起こしてほしくないという思いを伝え、企業が社会的責任を果たすことについて、委員の方たちと議論を交わした。そして、企業や各分野の技術者が、安全対策の情報を共有する場の確保を求めた。

 一昨年、東京・六本木の回転ドアで男の子が挟まれ、亡くなるという痛ましい事故があった。その事故で、畑村さんは失敗から学ばなければと、各分野の人たちに呼びかけ、事故原因を解析するプロジェクトを立ち上げた。そこには、回転ドアの製造会社、技術者、医師らも参加した。そして、安全対策の盲点に踏み込み、失敗から学ぶことで見事に命を生かしている。さらに、畑村さんは、事故の実物がなくなると事故そのものを忘れてしまうと、事故を起こした回転ドアとダミー人形を動態保存し、多くの分野の人たちが再発防止のための情報を共有している。

 四月のある日、安全啓発センターで、柳田さん、畑村さんにお目にかかった。私は、つぶれた座席に亡くなった息子の笑顔を重ねながら、「悲しみの傷が癒えるのは、失った命が、こうして生かされることではないかと思います」と感謝の言葉を二人に伝えた。






(上毛新聞 2006年6月20日掲載)