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◎郷土の歴史や良さ実感 「会社をリストラされたのを契機に、四国八十八カ所を巡ろうと思います」 「定年退職したら、ぜひ四国八十八カ所を巡ってみたい」 四国八十八カ所を巡りたい、と思っている人は意外と多い。四国八十八カ所巡りとは、四国に点在する弘法大師ゆかりの地を巡礼することである。 広大な四国の自然に触れ、また歴史的に由緒ある寺院を訪れることによって、心が素直になり自分自身を見直すことができる。そのような理由から、現在でも四国八十八カ所巡りが盛んに行われている。 この四国遍路は平安時代の末期ごろから僧の修行として行われていたが、次第に一般の庶民の中に広まった。最初は固定していなかった霊場が八十八カ所整ったのは、室町末期以降のことである。この八十八という数は、煩悩の数とか、厄年の数を合わせたものを指すと言われている。四国遍路は、今でも多くの人たちのあこがれの的であるが、本県から四国はあまりにも遠い。四国遍路に行きたいと思っていても、さまざまな理由で実現できない人も多い。 そこで、本県にも、四国八十八カ所霊場が存在することを紹介したい。太田市、伊勢崎市、桐生市の各地区にまたがるもので、「新四国八十八カ所霊場」と呼ばれている。 この霊場は、江戸時代の末期、今の太田市阿久津町に住んでいた白石栄左衛門によって創設されたものである。彼は米穀や肥料、日用雑貨の販売、蚕種の輸出、中でも油販売を中心にした商売で大富豪となり、“油長者”とも言われていた。 一方、近郊の大光院や冠稲荷神社はもちろん、各地の寺院や神社、また多くの霊場を巡り、奉額や献灯などさまざまな寄進を行っている。 彼は四国巡りから帰ると、弘法大師の功徳を多くの人に分け与えるため、自分の菩ぼだい提寺である正光寺を一番にして群馬の地に新四国霊場をつくり上げたのである。 「新四国」は一時衰退したものの、明治二十七年に復興され、昭和七年には弘法大師千百年御遠忌を記念して再興されている。 再興された「新四国」は、創設時と寺院や道順が若干異なるが、現在でも巡ることができる。阿久津町の正光寺が一番で、細谷町の教王寺が八十八番になっている。すべての霊場でご朱印を頂くことができ、案内書や納経帳も準備されている。 四国はあまりにも遠いと思われている方は、ぜひこの「新四国」を巡ってみたらいかがだろうか。 この「新四国」を巡ることによって、必ず新発見をする。何げなく通り過ごしていた場所が新四国の霊場だったり、いつも子供たちの遊び場になっている境内が、歴史ある寺院だったりする。 この新四国巡りで、偉大な弘法大師の教えに触れ、郷土の歴史や地元の良さを実感していただければ幸いである。 (上毛新聞 2006年6月5日掲載) |