視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
前橋国際大学名誉教授 石原 征明さん(高崎市筑縄町)

【略歴】国学院大大学院博士課程日本史学専攻。県地域文化研究協議会長、「21世紀のシルクカントリー群馬」推進委員。著書に「ぐんまの昭和史上・下」など多数。


萩原進先生の資料

◎慎重に整理し公開望む

 このほど萩原進先生の資料が、県立女子大学で保管されることになった。

 萩原先生といえば、本県に関するほとんどすべてのことについて通暁されており、群馬学の生き証人ともいえる人であり、本県で百年に一人でるか、でないかという象徴的な存在であった。

 群馬学を推進している県立女子大学にとって、願ってもない最高の人が長年所蔵していた資料を保管することになったということは、宝物を得たようなものである。

 群馬学は、『毛野』『上毛及上毛人』『群馬文化』『みやま文庫』『上州路』『上州風』などをはじめとする、いろいろな組織が長い間活動を続けてきた。さらに、吉井高校の「群馬学入門」、県立女子大学の「群馬学」などにあらためて光が当てられ、県民が強い関心を持つようになってきている。

 政治でも地方分権が重んじられている。文化でも同様である。地方の調査・研究を重点に置き、それを総体化して国全体に及ぼすことが大切なのである。

 萩原先生は、博識で造詣が深いだけでなく、先見の明があるとともに、アイデアにも富んでいた。本県はこれからどうすればよいか、いま手を差し伸べなければ失われてしまうものは何かというものを的確につかみ、精力的に活動を展開していったのである。

 先生の執筆活動は素晴らしく、自分の背丈をはるかに超え、二百冊にもなろうとする著作があり、数十の碑文も書いている。県議会図書室長や前橋市立図書館長などで活躍しているときでも、勤務を終えて家に帰ってから、一晩に四百字詰め原稿用紙で四十枚も書いたと聞いて驚いたことがある。

 また、それが連日であっても執筆活動は衰えなかった。もちろん仕事は速く、短期間で的確なものを仕上げていった。

 しかし、しかつめらしい学者ではなかった。訪ねていくと、気さくな格好で玄関に出てこられ、「まあ、上がって、上がって」と、自室に招いて、話を聞いてくれた。奥さまもお茶や季節のものを出して、心からもてなしてくれた。お二人とも親切で、さっぱりした群馬県人らしい人であった。

 群馬学のシンボル的存在であった萩原先生は、一九九七(平成九)年一月に亡くなった。もう十年近くになる。

 先生の資料は、先生が亡くなってからも、長男成基さんの努力できちんと保管されていた。虫食いのように、いいものだけが人の手に渡ってしまうということがなかったのである。また、先生の教え子の方が基礎的な整理に当たってくれていたことも、先生の人柄を物語っている。

 資料が県立女子大で保管され、いずれ人の目に触れるようになると思うが、非常に膨大なものである。分類・整理に多くの時間と人手がかかることは間違いない。

 時間がかかってもよい。慎重に整理して、「群馬の宝」ともいうべきものが、いずれ公開されるようになることを望んでいる。







(上毛新聞 2006年6月4日掲載)