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弁護士 小林 宣雄さん(前橋市荒牧町)

【略歴】沼田高、中央大法学部卒。54年司法試験合格。58年から地裁判事を務め、83年前橋地裁の裁判長就任。90年依願退官。群馬公証人会会長。02年から弁護士。


家庭内の知的保育

◎祖父母が読み聞かせを

 「孫の手」とは、木や竹の細長く平らな棒の先端を人の手の指先をやや曲げた形にし、背中をかくのに使う道具のこと。今では世間一般の家庭で常備されている。

 昔、中国・漢の時代に「麻姑(まこ)」という名の仙女がいた。彼女のつめは長く、それで背中のかゆいところをかいてもらうと、いい気持ちになった。そこから、背中のかゆいところをかく指の形をした棒片のことを「麻姑の手」と呼ぶようになったという。日本では、形が小さな孫の手のようなところから、「まご」と濁り、「孫の手」と書くようになったという。

 この道具が普及してからは、おじいちゃんらが正真正銘の孫のかわいい手で背中をかいてもらって、目を細めている光景もあまり見かけなくなったが、孫と思われる幼児と手を結んで散策か買い物に出向くらしい老人は相変わらずよく見かける。老人としては孫が事故に遭わぬよう気配りをしているのだろうが、孫の方も、ときには老人に「危ないよ。気をつけて」などと声をかけて、あの小さな手で老人をいたわり、誘導する風景もしばしば見かける。

 幼い孫にもその感性と分別がぐんぐんと芽生え育っているのを感じながら、老人は、通り過ぎる家並みについて、「昔はこの辺は田んぼで、夏にはカエルが鳴いていたよ」などと往時の回顧談を付け加えたりする。孫は、自分の頭の中にその風景を思い浮かべ、「カエルはなぜ鳴いているの…」などと問い返したりする。こうして、老人と孫は、お互いに今と昔を融合させるひとときを共有することになる。

 「三つ子の魂百まで」という格言がある。幼い時からその身に備わった資質、性格は年をとっても変わらない、ということ。だとすると、幼い子に対するしつけや教育は、その子の一生を左右することになる、といえる。

 まだ文字に通暁しない幼児、児童の家庭内での知的保育は、とかくテレビなどの視聴覚のそれに偏りがちだが、それとは別に、幼な子に実際には経験のない事物、現象などを自分の頭の中に自分で思い浮かべられる力、すなわち想像力の涵養(かんよう)も重要だ、と思われる。そのためには、古今東西の名作、名著とされる童話、伝説、宗教説話、偉人伝、動植物記などの書物を、年ごろに合わせて、できれば一対一方式で、静かに、ゆっくりと、ときには解説を加えながら読み聞かせてやることが効果的ではあるまいか。

 こうして、幼な子は自分の頭の中で、かつ自分自身の想像力によって、当の物語の世界にタイムスリップし、そこで自分が貴重な想像的体験をすることになり、その心の世界はいよいよ拡大、深化することになるだろう。

 この幼な子への大役は、何かと家業に忙しい両親よりも、比較的余暇があり、孫とも親交のある祖父母の方がより適任だと思われる。こうして、孫の心はいよいよ健やかに成長し、その大きくなった「手」は、やがて未来日本の「支え手」となってくれるだろう。







(上毛新聞 2006年6月3日掲載)