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◎保存だけでなく使おう 当たり前のことだけれど、建物は見ているより使った方が面白い。 昨秋の「絹の国俳句ラリー」(上毛新聞社主催)では、会場となった富岡製糸場を下見を兼ねて三回、見学した。れんがの一つ一つの色合い、質感がいい。手をあてたくなる。工場の窓の古いガラスには独特のゆがみがあり、そこからのぞいた天井の高さがうれしい。外から見ただけでも感じることがいっぱいある。食いしん坊はつい「この工場がビアホールだったら、入り口のあの洋館がフランス料理屋だったら、楽しくてうまくて、いいだろうなあ」と思ってしまう。 そんな建物の中へ入れたのは、本番の日だ。外から見ているより、もっといい。倉庫のひんやりした空気とにおい、洋館の床の踏み心地など、目だけじゃなくて体で建物を感じる。 今年の春、前橋市で開催された日本建築家協会の「建築祭」では、初めて旧麻屋デパートの二階、三階に入った。大人たちから聞いた「麻屋」の思い出を、さびた金具や変色した壁に重ねてみる。廃虚めいた建物の中に建築家を目指す学生たちの卒業制作、町や建物の図面、模型が並ぶ。普段は建物としての役目を終えたような空間で、新しい建物を目指す作品群を見ていると、建てること、使うこと、壊すことを考えさせられた。 天災、戦争、火事など、いろんな理由で建物は失われていく。ときには古くなったと壊される。あるいは壊れても惜しくないような建て方をされる。親たちが生まれた時代や、もっと前の時代を体で感じることのできる建物は減ることはあっても増えることはない。ならば今ある古い建物と、もっといっぱい遊びたい。 世界遺産になったアントニオ・ガウディ設計の住宅にも人は住んでいる。きっと建物も、ただ保存されているより大事に使われる方がうれしいはずだ。 この夏、仲間たちと桐生市と前橋市の二つの古い建物で大好きなブルースシンガーの歌を聴くぞ! というライブを企画した。どちらの建物も養蚕、製糸、織物がはぐくんだ「絹の国」群馬の「近代化遺産建築」だ。漢字ばかりの長い肩書は近寄り難い気もするが、その姿は町の風景に溶け込んでいる。申し込みに行き、パンフレットを読み、下見を繰り返し、あらためてそれぞれの歴史を知った。ライブのチラシの裏側には建物の写真を入れ、建築家に解説を書いてもらった。 前橋の群馬会館は空襲をまぬがれた貴重な証人だが、日本の近代建築史において、職人たちが最高技能を示した時代のものでもあるという。でも、なぜ昭和の初期を境に、その技能が失われたのか不思議に思った。解説を書いてくれた建築家は「戦争でその技能を持った人たちが亡くなり、戦後にそれが伝わらなかったからだよ」と教えてくれた。こういうことも見ているだけじゃ、きっと知らないままだった。 戦争で人が死ぬということは、その一人一人の人生とともに、それぞれの技能や思想も失われることなんだ。古い建物を使うということは、そんな人々の思いを受け取ることでもあるはずだ。生き生きとした姿で立っていてほしい。 (上毛新聞 2006年5月28日掲載) |