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◎「社会人」になる自覚を 思い起こせば早いもので、昭和二十年の終戦から六十年余が過ぎた。当時、複雑な思いで復員した私の目に映ったものは、焦土と化した都市の姿であった。住む家を失った多くの人たちは、失意の底からはい上がろうと必死だった。やがて、街の焼け跡に焦げた木材や焼けただれたトタン板を拾い集めては、バラックの住まいを建てる人々の姿があちこちに見られるようになった。 都会の盛り場では、やつれた軍服姿の復員兵や、親兄弟を失って行き場のない孤児たちがあふれていた。食生活は最悪で、働ける者は東へ西へと食料を求めて、買い出しへと駆けずり回ったのである。運悪く取り締まりの網にかかり、泣きを見る人たちも多かった。時がたつに従い、荷物を背に外地からの復員兵の姿も日増しに多くなってきたのである。 昭和も二十二年ごろになると、人心も落ち着きを取り戻しつつあり、ホットな話題もささやかれるようになってきた。街のあちこちでは赤子の泣き声も聞かれるようになり、心温まる思いをしたものであった。 この貧しかった時代(昭和二十二年―二十四年)に誕生した人たちを「団塊の世代」と呼んでおり、約七百万人ほどおられるとのことである。幼かったこともあって、苦しかったことや、ひもじかったことなど、記憶にはないだろうが、父親や母親から聞かされ、うすうすは知っておられると思う。この人たちが生まれてから、六十年の歳月が流れようとしている。来年から徐々に定年を迎えることになるが、第二の人生をどのようにして過ごしていこうかと、悩む日々も多いことであろう。 昔は農業や商業などの自営業が主で、サラリーマンの数は少なかった。農家は米を作れば作るほど米価は下がり、輪入の問題もあって国が減反政策をとったことから、農業は四苦八苦であった。若い人たちは家族を養うため、サラリーマンの道を選んだのだ。この人たちも間もなく定年を迎える。 農家出身者なら、帰農するのが最良の方法かと思う。今の農家は米を作るだけが本業ではなく、仕事も多様化し、ビニールハウス内で各種果物や花の栽培を行う農家が多くなっている。しかも、老齢化の波は容赦なく押し寄せている。 団塊世代の人たちが都会的センスを携えて帰農し、発想を転換して新風を吹き込めば、家族も喜ぶだろう。間違っても、長年働いた疲れから、家にこもるようなことは考えてはいけない。毎日ブラブラしているうちに、ボケでも始まったら誰が看護するかを考えるべきである。六十歳は働き盛り。会社人から社会人になったという自覚を持つべきである。 まだ働きたいと考えるなら、得意な趣味を生かすとか、ボランティアの活動に参加するとか、選択の道はいくらでもある。再出発を考え、悩んでいる方がいればNPO法人ふるさと回帰支援センターの門をたたくのもよい。団塊世代の人たちが第二の人生をつつがなく送られることを願う者である。 (上毛新聞 2006年5月18日掲載) |