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◎高崎の「第2の泉」に 世界の喜劇王チャールズ・チャプリンが来日したのは、一九三二年のことです。五月十五日の大相撲観戦から彼の日本探検が始まり、東京滞在九日目の二十二日、大蔵流二世、山本東次郎則忠演ずる狂言「鎌原」を、現在の杉並能楽堂で鑑賞しました。 この時の感想を「まことに好よい…とにかくもっとも洗練された芸術だと思います、あの無表情」(朝日新聞)、「ゆるゆるしたテンポとステップ、様式化された動作」(都新聞)に感嘆したと、それぞれ報じられています。この狂言鑑賞はその後のチャプリンの作品・演出に影響を及ぼしたといわれています。チャプリンが大相撲を観戦したその日が、犬養首相暗殺の五・一五事件の当日でした。 狂言大蔵流三世、山本東次郎則重は世阿弥の「幽玄の上階のをかし」を理想とし、第二次大戦後の混乱した昭和二十二年ごろから、全国の中学高校生を対象に巡演を一人で始め、狂言の普及に尽力しました。 この巡演を私は中学生の時に接しました。砲弾を据える台で作った一坪ほどの朝礼台の上で、羽衣の衣装を示しながら、演じられた三世、東次郎の熱意あふれる姿は忘れることはありません。それは、敗戦によって自信を喪失した日本の若者たちに、日本の伝統文化の素晴らしさを示しながら、生きる勇気を持つようにと懸命に呼びかける姿でした。 さて、チャプリンと三世、山本東次郎のこうした狂言のとらえ方、考えは、「『万人の心の迷いから犯す万人共通の過ち』の発端とか動機にうかがえる普遍的な人間心理」をとらえて表現するのが狂言であるといわれる現大蔵流家元四世、東次郎氏が継承されています。 現存する狂言はおよそ二百曲あるといわれていますが、この狂言全曲を東次郎一門の方々に上演していただけたらと考えておりましたところ、日本文化の継承にかかわることができるならと、「狂言を観みる会」という若者のグループが高崎にできました。そして、この若者たちの全曲上演の強い意志を、大蔵流家元四世、山本東次郎氏が快諾され、一門を挙げて取り組んでくださることになりました。 仮に年に二回三曲ずつの上演で計算しますと、三十年以上かかることになります。演者も見る者も生きているうちに上演、鑑賞できるかは分かりません。次世代をも包み込んだ壮大なこの文化活動は、まさに、自分の生き方と狂言の世界とを積極的にかかわらせ、演者と見る者とが創造していく、重厚長大な新しい文化活動です。 この五月十九日、第十七回「狂言を観る会」が高崎シティギャラリー・コアホールで開かれます。演目は「真奪(しんばい)」「箕被(みかずき)」「犬山伏」の三曲。群馬交響楽団を高崎の「第一の泉」とすれば、狂言を観る会は「第二の泉」。この泉を枯らしてはならないと思います。 (上毛新聞 2006年5月10日掲載) |