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◎子供たちに教育支援を 日本の子供たちは学期末になると成績表(通信簿)を持ち帰り、親に渡す。成績表には親から学校への要望や子供に関する希望等を記載する欄があり、親の考え方等を記載し、提出する。カンボジアも同様であるが、大半は無記入のまま学校へ提出する。 なぜかと言えば、両親の60―70%程度は文字が書けないし、読めない。四十年に及ぶ内戦、中でも四年間にわたったポル・ポト政権の圧政による影響が大きい。同政権は通貨の廃止、教育不要論を唱え、農業政策一辺倒の施策を強行し、読み書きのできない多くの人を生み出した。この影響で一九七〇年代生まれの大半は読み書きのできない人である。それ故、親は子供の教育に人一倍、熱心である。 しかし、内戦で疲弊したカンボジアでは、義務教育とは名ばかりで、小学校へ入学するのに入学金、教科書購入費、年二回のテスト代、進級のたびに進学金等を必要とする。ノートや鉛筆等の教材は当然、自己負担。首都プノンペンの公務員の月収は四十ドル程度、地方の労働者の月収は十五ドル程度である。生活に精いっぱいで、とても数人の子供を通学させる余裕はない。男尊女卑の風習がいまだに残るカンボジアでは、長男一人を通学させることができればベストと考えられている。 カンボジアでは小学校から大学まで午前、午後の二部制授業である。子供たちは午前か午後は空き缶やペットボトル等を拾い集めて換金、あるいは食草を収穫して換金し、生活費として親に渡している。 教科書は四、五人で一冊購入できればよい方で、自宅に教科書を持ち帰ることは許されない。午前あるいは午後の子供の授業に支障が出るとの理由である。それでも子供たちは電気のない自宅でろうそくの明かりをたよりに遅くまで勉学にいそしんでいる。今年の一月にカンボジアを訪問したとき、里子たちを昼食に招いた。しかし、誰もはしを付けようとしない。こんなごちそうは見たことも食べたこともない。持ち帰って、家族みんなで食べたい―とのことであった。一ドル程度の昼食だったが、家族のきずなの強さを思い知った。 トイレ、シャワー、電気もない生活環境の中で子供たちが必死に、しかも明るく生活し、勉学に励んでいる姿に接し、キレる子、荒れる子と言われる子供が日本に本当にいるとすれば、少しは見習ってほしいと願わずにはいられない。 現在、カンボジアの貧村の地に研修施設(宿泊可)を建設中である。この施設を利用して、多くのボランティアを志す方、中高生たちがカンボジアの子供たちへの教育支援をしていただければ幸甚である。 当協会の教育里親制度を利用し、全国の善意の支援者に支えられて現在六十人の里子たちが通学しているが、前述の男尊女卑の影響で大半は女子である。里子を含めて子供たちが勉学に励み、この国から読み書きのできない人をなくし、豊かではなくても人並みの生活ができる社会人に育つことを期待している。 (上毛新聞 2006年4月24日掲載) |