視点 オピニオン21
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下仁田自然学校長 野村 哲さん(前橋市三俣町)

【略歴】長野県生まれ。65年前橋に移り住む。群馬大学社会情報学部教授、学部長などを歴任。上毛新聞社刊「群馬のおいたちをたずねて」など編著書多数。


横断歩道

◎車は左右を確認して

 子供の生活環境の一つに、約束を守らないで走る車の社会がある。自宅の前の横断歩道で、向こう側へ渡ろうとして待っていても、車は止まらない。二百メートル前方の信号機が赤になっていても、そこから、車がいっぱいになるまで止まってくれない。二十台の車が通り過ぎて、そのうちの一台が止まるかどうかの確率だ。

 信号機のない交差点で、大きい通りに入ろうとする車は、一時停止の線で止まらず、進行してくる車が見える横断歩道の上で、初めて止まる。しかも、車がやって来る右側だけを見る。二年前、自転車に乗っていた私は、五十日ほどの間隔をおいて二度、交通事故に遭った。二度とも、運転者は左側からやって来る私を見ないのである。自転車は使用不能になったが、私は生きていた。

 ある日、事故に遭った場所に行って、しばらく眺めていたことがある。十台のうち八台は右側だけを見て横断歩道の上で止まった。私が事故に遭ったときは、左側を見ない車が横断歩道を乗り越えて自転車道まで出て、私の自転車にぶつかった。こうした運転者は、前述の確率からいって本紙の読者の中にもおられるのではないかと推測される。

 本来、道路通行の優先順位は、人、自転車、車のはずだ。今は完全に逆転している。昨年の夏、スイスを旅行中、横断歩道を渡ろうとすると、車は必ず止まってくれた。日本とは大きな違いだ。どうして、こんな日本(特に本県)になってしまったのだろうか。時間的余裕がある場合でも、早く目的地に行かなければならない、という精神状態が慢性化して、見えない針金で縛られた強制状態に陥っている、というほかはない。

 リストラが進み、人を押しのけても頑張らないと、遅れをとってしまうという不安。強いものが勝ち、弱いものへの配慮に欠けている日本の社会。知的能力の開発を優先させる日本の教育。こうした世情が重なって、いつしか、人間性を失わせてしまうのだろうか。

 農業だけでは生活ができなくなり、出稼ぎや共働きをするようになって久しい。この時代に、不幸にして放任のまま育った子供が、今は子育ての親になっている。この人たちに向かって、しつけをきちんと行うべきだと言っても解決しない。どうしても、地域社会が国の補助を受けて、組織的に取り組まなければならない課題だと思う。確かに子供が育つ家庭環境は重要だが、子供の生活空間は家庭だけではない。また、自宅でパソコンゲームに熱中している子供は、家庭にいないのと同じ環境に置かれている。

 ここで、二つの提案がある。一つは、当然のことながら、車を運転して大きい道路に入るときは、まず、一本線の停止線で止まり、人が歩くスピード以下で徐行しながら、左右を確認して横断歩道を通過することである。こうしたことを実行してこそ、子供に向かって説教をする資格が得られる、というものだ。

 第二は、横断歩道の路面標示を少なくとも現在の二倍にしてほしい。また、十字の交差点を渡るとき、横断歩道が一カ所しかない場合があり、事故になる危険性が高い。安全に渡れるようにするには、少なくとも二カ所にすることである。人が信頼できる社会になってほしいものである。




(上毛新聞 2006年4月6日掲載)