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◎隠居の生活保持で契約 四十年近く、古文書を読み解き、縁切寺満徳寺の研究をはじめ三くだり半など、もっぱら江戸の離婚を研究してきた。古文書の調査では、必ずしも目的のものが見いだされるとは限らないが、興味を覚える文書にはよく出合い、折々に収集しておく。その収集文書の中に親子、とりわけ高齢者をめぐるものがあり、ここ十年余はこの研究に力を入れている。その中に見られる江戸のシステムが、今日の高齢者問題にきわめて示唆的だからである。 さて、二十一世紀、四人に一人が六十五歳以上の高齢者という、どの国も経験したことのない急激かつ未曾有の超高齢社会が到来する。老後をいかに過ごすかは、世代・年齢に関係なく、だれもが直面する問題である。 戦前は江戸時代同様、相続原因には隠居と死亡があり、親が隠居すれば、跡継ぎ(子供)の長男が面倒を見ることは法律で義務づけられていたので、安心して全財産を譲って隠居できた。隠居という老後は法律が後押ししてくれた。しかし、今日では均分相続であり、親の扶養もまた子供に均等に分けられることになった結果、一面では子供が等しく親の面倒を見なくなった時代になったといえる。法律に頼れなかった江戸時代は、自分の老後をどうしたのであろうか。県内の事例を見よう。 まず、ある程度の農地を所有した親が隠居するとき、かなりの土地を跡継ぎに譲るが、「隠居面(田畑)契約」を跡継ぎと交わして、一定面積の土地、実例では全体の10%から30%を隠居の生活保持のために留保することが通例で、かつ全国的に見られる一般的慣行であった。 また、ときには隠居面のほかに、金銭や現物の給付を規定した。一七四七年、上野国甘楽郡譲ゆずりはら原村(現在の藤岡市)の老母の隠居契約証文には、第一に亡き夫の遺産金を渡すこと、第二に日常生活に欠かせない燃料である薪まきの提供が約束され、第三に兄弟双方から隠居面が約束された。その上で隠居屋敷が普請されるが、その場合は兄弟の屋敷の中間とされた。息子たち両人宅から「スープの冷めない」距離で生活の面倒を見ることを約束させたのである。 隠居面を留保する代わりに、一定の金銭・現物給付を内容とする契約もなされた。一七四六年、上野国利根郡真庭村(現在のみなかみ町)の隠居料証文がそれで、隠居屋敷を別宅にするか否かは隠居の自由に任せるとした上で、隠居料として一年に「米九俵・金三両」のほか、塩・みそ・薪などはその時々に届けることが契約されている。 ここには土地を留保する代わりに、贈与と対価的関係にある扶養義務が課せられ、しかも定量化されている。このように隠居(贈与)に伴う扶養義務を明示して契約がなされた。すなわち、親が隠居する(子が親を相続する=親から贈与を受ける)とき、子はそれと対価的な扶養義務を果たさなければならなかった。だから親も安心して隠居(贈与)できた。ここが江戸に学ぶべき点である。 (上毛新聞 2006年4月4日掲載) |