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◎見つけたい新しい道 「私には分かりません。体の三分の二を大やけどしたのに、またスリップ(再び薬物をやる)をするのは」「正直、私も分かりません。あの時は大変で三週間も意識不明で、何回も皮膚移植をし、痛い目に遭いました。でも、気が付いたら、またやっているのです」。こう語るJは、いわゆる依存症であった。 ある時、麻薬をやり、神の声を聞いた。「灯油をポリタンク一箱分買い、タクシーに乗り、公園に行き、それをかぶり、火をつけなさい」 三週間、意識不明で生死をさまよい、脳に異常もなく、大変な皮膚移植の後、退院してダルク(薬物依存回復の自助グループ)のメンバーとなった。でも、依存症が一朝一夕で克服できるものでないことを、彼を通して学んだ。 半年、一年と中断できるが、気が緩むのか、またスリップする。 依存症も多々ある。アルコール、ギャンブル、セックス、拒食、過食、リスト・カットなどである。私の教会では毎日、このような人たちに集会の場を提供している。二、三十人の人たちがミーティングをしている。 私は彼らから多くの事を学んだ。薬物などに手を染め、反省し、克服しようと模範的に努力して将来、回復センターの立派なリーダーになれると期待される人が、自分の脳細胞が侵されているなどと失望して自殺していく。逆に何度もスリップし迷惑をかける人や、「悪いけれど、あんなやつ、死んじゃえばいいのに」と、陰口をたたかれる人が説得力ある立派なリーダーになっていく。この世界で、エリートは役にたたないことを学んだ。 先日、刑務所を往復した青年と出会った。少年院を三回、刑務所を四、五回出入りし、四十の坂に達する彼は、出所後一カ月もしないうちに、また窃盗をしたいという誘惑にかられると言った。厳しい格子と手錠の生活、軍隊のような不自由な規律生活はもう金輪際いやだと思っていると、私は錯覚を持っていた。世間の厳しい生活より刑務所の方が楽なのだろうか。 十六、七年前、ある少年院から十七歳の少年が「僕は格子と手錠の生活をもう二度としたくありません。どうぞ、僕の面倒を見てください」と私に手紙を書いた。これが刑務所の受刑囚の願いかと思った。でも、刑務所を幾度も出入りする者は、刑務所依存症なのだろうか。 依存症回復グループの者と接して思う。それは非行に走る青少年とも共通する。 私たちがノーマルなグループで、依存症や非行に走った者をノーマルなグループに呼び戻すことが回復ではない。それは、依存症の最初の状態に戻すことである。元の鞘さやに収めることが回復ではない。彼らに新しい道を見つけさせることが回復である。はみ出した者をはみ出したままの状態で、明るく生きていけるように、皆が配慮することである。 (上毛新聞 2006年3月20日掲載) |