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◎努力、倹約の大切さ説く 「「ほら、ばちがあたった」。幼いころ、大人の言うことを聞かず、けがでもすると、家族からそう言われたものだ。一方、良いことがあったりすると、「日ごろの心掛けが良いからだよ。ご先祖さまはすべて見ておられるのだから…」と褒められたことも記憶に残っている。日本には古くから家庭の中で、伝統的なしつけ教育があったのだと思う。 私は昨今、もろもろの不祥事をマスコミ報道などで知るたびに、「悪いことをすれば、ばちがあたり、結局は損をする」という日本古来のことわざをかみしめ、この言葉が死語になりつつあることを残念に思っている。第二次大戦後、日本人は敗戦のショックや経済成長の旗印のもと、戦前とは違う新しい文化を安易に受け入れ、日本の伝統的文化を古いという一言で捨て過ぎたのではないか。具体的には、日常生活やしつけの面でみると、「玄関やトイレで脱いだ履物の向きを直す習慣」「おかげさまでとか、もったいないという考え方」「年長者を敬う心」「自然への畏い敬けいの念」等々である。 私は現代社会において、人のみちを説く石門心学の再興を願っている。この心学という学問は、江戸時代の学者、石田梅岩が提唱したもので、全国的に広がり、上州でも今の高崎市倉渕町岩氷、昭和村貝野瀬など数カ所に学舎があったといわれている。そして戦後、本県では富岡市の資産家で地域の社会事業などに尽力した故岡部栄信さんや、上毛かるたの生みの親で群馬文化協会の初代理事長を務めた故浦野匡彦さんが熱心にその普及を率先垂範された。 その骨子は、日々のまじめな努力の大切さを諭したものである。例えば商業では、買い求める人に喜ばれる商品を提供するから、その対価・満足度として支払いがある。物づくりでは、世間に役立つ製品をつくることで、個人や社会から工賃が支払われるという考え方で、底辺に努力と社会への貢献・相互の満足感が流れている。また心学では、米一粒、水一滴でも大切にするという倹約の精神も説いている。 現代の一般的な日本人の宗教に対する考え方は、「入学試験に合格するように」とか「くじが当たりますように」などのお願いごとが多く、信仰をバックボーンとした「己を律するという精神」は比較的薄いのではないか、と思わざるを得ない。私は日本ではやはり、幼いころからの家庭でのしつけ教育の中から、「ばちがあたる」や「もったいない」などの言葉を通して、善悪のけじめや道徳心を植えつけることが望ましいと思っている。 なお、石門心学の資料は、富岡市の岡部温故館に受け継がれている。特に岡部栄信著『通俗 心学すゝめ』(昭和二十四年三月、上毛新聞社印刷)はユニークで読みやすく、社会教育の神髄を諭す名著である。 (上毛新聞 2006年3月16日掲載) |