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沢渡温泉病院言語聴覚士 長谷川 靖英さん(中之条町西中之条)

【略歴】93年国立身障者リハビリセンター学院修了。同年から沢渡温泉病院に勤務。05年6月「Q&A『きこえ』と『ことば』の相談室」を翻訳出版した。

発音と文字


◎子供抱き語りかけよう

 言葉の問題を扱っている仕事上、発音と文字の関係について気になることがよくある。例えば、ローマ字で「ぐんま」をどう書くか。「Gunma」と「Gumma」、二つの表記を見かけるが、「ぐんま」の「ん」に当たるアルファベットは「n」それとも「m」、どちらがよいのだろうか。ちなみに、県のホームページでは「Gunma」と「n」を使っているが、パスポートは「Gumma」と「m」を使っている。ややこしい話である。

 さらに、ややこしい話をしよう。そもそも平仮名でもローマ字でも、文字では発音を正確には表現できない。試しに声に出して「ぐんま」と言ってみよう。「ぐ」は口をやや閉じ気味にして息の流れが一瞬止まり、その後、声が聞こえると同時に舌の奥の方がぴょんとはねる。次に「ん」である。「ぐんま」と言う時の「ん」は、唇を閉じたまま発音する。そして、唇を閉じたままで「ま」と発音しながら、同時に大きく口を開ける。一方で「さんこ(三個)」と発音した場合はどうだろうか。普通の速さで発音するなら、文字は同じ「ん」でも、この「ん」は唇を閉じない人がほとんどであろう。

 さあ、大変だ。同じ「ん」という文字でも、口の動きが微妙に違う。つまり発音自体が異なっている。では、なぜこのような違いが見られるのだろうか? これは音声学的には「同化」という現象に当たる。つまり「ん」の発音が、次に発する音に引きずられてしまうのだ。例えば「ぐんま」の「ん」は、次にくる「ま」が唇を閉じて発音するために「m」の発音に引きずられて唇を閉じてしまう。反対に「さんこ」の「ん」は、次に発音する「こ」が唇を閉じずに舌の奥の方を発音に使うため、唇を閉じる必要がなくなる。

 日本語を母語としている者の耳には、「ん」という文字はどういう単語に使われていようと「ん」と聞こえる。つまり、音声学上で「n」と「m」には明確な違いがあるにもかかわらず、一種類の「ん」という音に聞こえてしまう。一方で英語など「n」と「m」の文字で発音を区別する言語はこの違いが大事になる。しかしそうすると、われわれは一体どのように言葉の音を学んできたのだろうか。

 人間はどこの国の生まれでも、生後半年くらいまではこの「n」と「m」の違いや「l」と「r」の違いなど、さまざまな言語音をも聞き分ける能力があるとされる。しかし、保護者とのコミュニケーションに影響を受けて、次第に母語に存在する音のみに敏感になっていく。

 乳児の言葉の音を聞き分ける能力は、やがて発音の能力へとつながる。しかし、それは教えようとしても教えられるものではない。唯一、保護者との安定したコミュニケーションを通じてのみ可能である。最近話題の英語の早期教育も、他人任せ、ビデオ任せでは保護者の影響力には負けるだろう。子供を抱き寄せ、表情を見つめ、温かく語りかけることこそが、心と言葉の発達をはぐくむ揺りかごとなることを、もっと知ってほしいと思う。

(上毛新聞 2006年2月23日掲載)