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◎今後の織都に大きな力 戦後まもなく「ガチャマン景気」というのがあった。「ガチャリ」と機を織ると「何万円ともうかる」夢のような話で、このころの桐生は空前の好景気に沸いた、その主力製品が桐生御お召めしであった。 桐生御召の誕生は古く、一八三八(天保九)年、桐生の吉田清助が将軍に献上した絹の縞縮緬(しまちりめん)が評判となり、将軍がお召しになった絹織物から御召の名が付く。 御召は先染めの紋織物の総称で、高級絹織物として珍重された。横糸には通常の十倍から二十倍の撚よりをかけた強撚糸(ねんし)を使うこの織物は、八丁撚糸機のおかげで大量生産され、ブランド品としての流通を可能にした。桐生町の岩瀬吉兵衛が考案した八丁撚糸機は、水路に設置された数百の撚糸用水車(上げ下げ水車)を動力源として、大量の強撚糸を供給した。桐生は既に江戸後期より近代的な産業が始まり、この資金力を元に寺子屋や私設図書館、知識人、芸術家、江戸歌舞伎のスポンサーなど、民主導の各種事業が展開される。 その後、いくつかの波を経て繁栄を極めた桐生御召だが、和装離れから衰退し、平成十三年に桐生市老人クラブ連合会とNPOが始めた「新明日への遺産」事業のころには、八丁撚糸機も上げ下げ水車も、さらには御召も遠い過去の話となり、団塊の世代の私でさえ、その存在を知らない始末だった。 高齢者と群大工学部の学生たちが組となって、御召や八丁撚糸機や水車の聞き取り調査を始めると、往時を知る高齢者たちから次々と興味深い話を聞くことができた。 淡々と、あるいは熱く、ある時は涙しながら取材に応じてくれた方々は、織物を科学する研究者であり、繊細な表現力の芸術家であり、素晴らしい御召を企画するディレクターであり、そしてなにより誇り高き職人でもあった。 インタビューの様子は、ビデオやデジカメに収録、編集され、桐生の貴重な文化資産としてインターネットや冊子となる。平成十四年に『桐生御召と撚糸用水車の記憶』、十五年に『桐生御召と職人の系譜』を出版、十六年には十一回にわたり職人自らが語る「桐生織物を語る連続講演会」を主催し、関連した二十数本に及ぶビデオと、インターネットコンテンツを残した。 これら一連の事業に触発されて結成された「桐生八丁撚糸機保存会」は、八十一歳の藤井義雄氏と若者たちが中心となり、壊れたボロボロの八丁撚糸機を復元し、平成の新しい強撚糸を作り始めている。 そのような活動を通して桐生織物の文化と歴史を知るうちに、桐生御召の工程の中には、現代の工芸作家や、織り元が求める特殊な撚糸や、近代的な糸作りが見え始めたように思う。 桐生市老人クラブ連合会や大学、多くの市民の方々と始めた活動も五年目を迎え、新たな展開を模索しているが、古きよき文化・歴史を後世に伝えながら、新しい産業への脱皮や勃ぼっ興こうをも含んだ活動を、微力ながら続けていこうと考えている。 門外漢の戯言(ざれごと)ではあるが、これを実現する新しい職人こそが、あるいはこれからの織都桐生をつくる大きな力となると思うのである。 (上毛新聞 2006年2月12日掲載) |