視点 オピニオン21
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高崎健康福祉大学非常勤講師 三井 久味子さん(高崎市貝沢町)

【略歴】高崎塚沢中校長など経て高崎市教育研究所長。現在、女子栄養大(埼玉)、群馬松嶺福祉短大、高崎健康福祉大の非常勤講師。エイズ教育の啓発に取り組む。

見果てぬ夢


◎続けよう自分探しの旅

 『ラ・マンチャの男』を二十歳代から演じ続けてきた松本幸四郎が六十歳を過ぎ、ドン・キホーテを求めてスペインに降り立った。飛行機嫌いで知られている幸四郎にして、番組の要請にどんな気持ちで応えたのか。家族三人の旅の様子が昨年の十二月に放映され、たまたま見てしまった。

 スペインのトレドの丘に立った胸中を幸四郎が語った中に十分な答えがあった。「長い間、見果てぬ夢を追ってきた私は、ほぼ夢がかなったと思ってきた。今、ここに立って見て、見果てぬ夢は、思いをかなえることにあるのではない、夢を追い求め続ける心意気にあるのだ」と感慨深く語った。

 私は先月、六十五歳になった。今までの誕生日の日の意識は「ああ、こんな年になってしまった」という嘆きに似たものだった。それも儀礼的に、そう思うことが順当だとする建前であったので、しみじみとした思いとは遠かったような気がする。

 ところが、今年は確かに趣が違う心境になった。不思議に思われるかもしれないが、年を重ねることの喜びと充実、今年こそという意気込みとが心の奥で交錯し、よい年にしたい、また、そうできるような予感が心にみなぎった。こんな思いは、生まれてから一度も味わったことのない心境である。

 大きな力で支えられていた仕事も六十歳で退職し、私自身の「自分探しの旅」が始まった。生き直してみたいという思いと、それまで培った人生の貯金を捨てきれずにきた。織り交ざった五年間ではあったが、それはそれで意味があったと思えるようになった。退職後、あれやこれやと挑戦したが、子供のころの夢の一つ、シャンソンの勉強が見果てぬ夢を発見させてくれた。初めて新たな旅立ちができたような気がする。

 団塊の世代の退職があと一年となり、このごろ、年金問題や生きがい探しの特集がさまざまな分野でにぎわっている。その中で、退職をどう思うかという質問に夫は85%が「楽しみ」と答え、妻は40%が「憂うつ」と答えている。夢いっぱいの夫は、まさか粗大ごみや濡ぬれ落ち葉になるわけはないと思うが、妻は毎日夫が家に居ることに少なからず不安を抱いているようだ。楽しみだと答えた人たちの多くは青春のころ、果たし得なかった夢の続きを見ているのではないだろうか。

 志を持つことは、若いころだけの特権ではない。幾つになっても間に合うと思う。楽しみながら生きがいとなるものに出会うまで、誰もが自分探しの旅を続けていく。聖路加国際病院の日野原重明名誉院長は、七十歳からの夢探しを提唱し、多くの人に夢と希望を与えている。

 私の六十五歳は始まったばかり。七十歳になったら息で語れる歌い手になりたいと夢に向かって、この年を充実させたいと思う。見果てぬ夢を一緒に見続けてくれる人とともに残された時間を生きていけたら、こんなにうれしいことはないと思っている。今朝も生き生きと夫婦連れが散歩する風景が木々の間から見え隠れしている。

(上毛新聞 2006年2月9日掲載)