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群馬大学教育学部教授 山口 幸男さん(前橋市千代田町)

【略歴】茨城県出身。東京学芸大大学院修士課程社会科教育専攻修了。専門は社会科教育学、地理教育学。日本地理教育学会会長、日本郷土かるた研究会会長。

上野唱歌


◎将来を展望する指針に

 明治三十三年、ちょうど西暦一九〇〇年に「上野(こうずけ)唱歌」という県内各地を歌った郷土唱歌が誕生した。明治時代後半、全国にわたって約八十曲の郷土唱歌が作られ、私はこれを明治期郷土唱歌と命名し探求してきた。

 「上野唱歌」はその中でも代表的なものの一つで、全四十九番から成っている。

 一番の「晴れたる空に舞う鶴の 姿に似たる上野は 下野(しもつけ)武蔵岩代や 越後信濃に境して」という美しい歌詞で始まり、四番「まず前橋を尋ねれば 群馬県庁裁判所 師範学校中学校 勢多郡役所もここにあり」、五番「商業盛んに土地繁華 生糸の取引とりわけて 四九の市日のにぎわしく 国中一の都会なり」、七番「このあたりより見渡せば 近くは赤城榛名山 はるかに望む妙義山 これ上毛の三山ぞ」と歌われる前橋市を皮切りにして、四十七番まで県内全域を南、西、北、東方向の順序で巡っていく。

 例えば「妙義の山を仰ぎつつ 坂本よりはアプト式 二十六個のトンネルを くぐれば信濃路(じ)越後路(みち)」(十八番)、「草津沢渡河原湯や みな温泉の湧くところ 旅より旅の草まくら しばし遊ぶも興あらん」(二十八番)、「桐生は名高き織物地 織姫繻子(じゅず)や羽二重(はふたえ)や 改機縮緬絽(ちりめんろ)に綾に 目を驚かす色地質」(三十八番)などである。

 そして、最後の四十八番、四十九番で「そも上野は昔より 早く開けて米穀に 養蚕製糸の名に高く その外産物数知れず」「ことに帝都に近ければ 人の智識は日に進み 文化は月に開けゆく めでたき国よよき国よ」と結ばれる。

 上野唱歌の歌詞から、われわれは百年前の県内各地の実態を知ることができ、今日現在と比較することによって百年間の郷土の変容をとらえることができる。約五十年前制作の「上毛かるた」を挟めば郷土変容の様子を一層よくとらえることができよう。また、歌詞の中には当時の人々の郷土に対する熱い思いが込められていて、それらを今日のものと比較し、時代による郷土観・歴史観の違いを感じることもできる。

 そして、これらの中から、県の将来を展望していく上での良き指針を見つけることもできるのではなかろうか。この「上野唱歌」を今日的立場からぜひ歌っていきたいものである。

 「上野唱歌」の作詞者は、勢多郡東村花輪出身の石原和三郎である。和三郎は「うさぎとかめ」「金太郎」「大黒さま」など御伽噺(おとぎばなし)唱歌の作詞者として有名で、東村には和三郎を記念する「童謡ふるさと館」があり、花輪小学校と群大教育学部には和三郎の石碑がある。これらの唱歌の作曲者は当時の日本音楽教育界の中心人物であった鳥取県出身の田村虎蔵である。数多くの有名唱歌がこのゴールデンコンビによって誕生した。鳥取の白兎(しろうさぎ)海岸には大黒さまの石碑があり、鳥取市には「わらべ館」もある。

 和三郎と虎蔵の縁で、本県と鳥取県が姉妹県の提携をし、交流を深めていってはどうであろうか。

(上毛新聞 2006年2月3日掲載)