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◎凍った人々の心解かす 御巣鷹の尾根の紅葉は、いつ見ても美しい。二十年前、日航ジャンボ機が墜落した御巣鷹の尾根に、関西に住む遺族と昨年の秋も慰霊登山をした。赤や黄色の落ち葉を踏みしめながら、亡き五百二十人の方々への思いを深めた。私はリュックの中に、墓標脇に植えたモミの木に飾る色とりどりの星やモールを詰めていった。 事故から七年目の三月三日。遺族の慰霊登山を支援する登山支援班(日航の社員)の人たちは、関西に住む二十二歳の娘さんを亡くした母から託された桃の花を墓標に供えた。その年は、特に雪が深く、かんじきをはいても進めない。雪に足をとられながら、男たちは上野村の御巣鷹の尾根管理人の仲澤勝美さんの案内で尾根をめざした。墓標の前では、登山支援班の大島さんらが「あかりをつけましょ ぼんぼりに…」のメロディーを口ずさんだ。 私も、事故後三年ぐらいたって一度だけ雪の季節に登ったことがある。事故現場の悲惨さは雪に埋もれ、テンやリスの足跡が雪道にどこまでも続いていた。その静寂と寒さの中で、九歳で逝ったわが子を連れて帰りたいと思った。 そのころの私は、イルミネーションのきらめく冬の街に出るのが怖かった。目に映る街の風景に色が付いていなかった。そして、街に流れるクリスマスソングに耳をふさいだ。家族皆で、クリスマスケーキを囲んだ情景が浮かんでは消えた。 その翌年、御巣鷹に眠る五十人近くの子供たちが、一緒にクリスマス会ができたらいいなと思って、東京から三十センチの小さなモミの木の苗をリュックに入れて尾根に運んだ。あれから、季節は何度も巡り、そのモミの木は今、三メートルの高さになった。 御巣鷹の尾根に体力が続く限り登りたいと高齢の遺族の方々は、日ごろから足腰を鍛えている。昨年も娘家族四人の慰霊に八十四歳の母が登った。登山の情報は、遺族の交流も深める。「春と夏の御巣鷹と同じくらい秋の御巣鷹はいいよ」という話が遺族の中で伝えられ、紅葉のころに登山する人たちも増えた。また、尾根にある山小屋では、日航の登山支援班の人たちが遺族に豚汁を用意して迎えてくれた。その豚汁がおいしいという話も、遺族の人たちの話題になった。 ひなまつり等のお節句、正月、クリスマス、いとおしい人と過ごしたそんな特別の日がつらい。一人一人その思いは違うが、どこかに共通点があり、大切な日が思い出になっていくのが怖かった。一人で過ごすお正月は寂しいと、おせち料理を慰霊の園に届けた人もいる。 事故から二十年たって、すっかり成長したモミの木を見上げながら、クリスマスの飾りつけをした。御巣鷹の尾根のこのモミの木に雪が積もっているだろう。十一月中旬から翌年の四月末まで、登山道は閉じられる。 二十年の歳月、凍った人々の心を解かしていったのは、雪の中のひなまつりの歌声の温かさや、山小屋での豚汁のぬくもりだったと感じている。 (上毛新聞 2006年1月26日掲載) |