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◎教えるのは親の義務 「しつけ」とは何! と言う若者が増えている。まったく驚きである。 「しつけ」を代表するものに礼儀作法があると話すと、「へえー」と答えるが、ほとんどの若者が無関心である。 社会人として、新卒者を預かった会社の訓練担当の方から、その苦心談をお聞きしたことがある。話が終わり、別れ際に「今どきの親は、子供に何も教えていないんだね?」と、嘆いていた。 親も生活に追われて、毎日が忙しいのか、面倒なのか、または、親から教えてもらえなかったので、教え方が分からないのか…。あるいは、大きくなれば、ひとりでに理解するだろう、学校で義務教育を受けているのだから、先生が教えるであろうと、安易な考えを抱いている親が多いように考えられる。 学校は学門を教え、「しつけ」は補講的には教えるが、期待はできないのである。 学校では、一クラス四十人と決められた生徒を教えるのである。マンツーマンでは教える余裕はない。大勢を相手に教えているため、先生方の目の届かぬ面も多々あることは否めない。 自分たちの子供が成人して、恥ずかしくない人間にしたいならば、日常必要な「しつけ」は家庭で教えるべきである。他人は子供の性格や、その家庭の習慣までは分からないのである。 慣習とは恐ろしいもので、一度身につくと直そうと考えても、なかなか直るものではないのである。 幼いころは、純真無垢(むく)で、頭の回転も速く、聞くもの、見るものを吸収するのが早いのである。 娘が幼いころ、はしの握り方について興味を持ち出した時期があった。親のはしを取り上げ、自分で使ってみたいという。 はしの使い方の指導も「しつけ」である。 子供がはしをどのように握るかを見ていると、懸命に親のまねをするのだが、うまく握れない。初めはグウで握りしめていた。 わたしは、はしで豆をつかむことをゲーム形式で始めてみた。 握り方からはじめ、子供に合わせて成功したり、失敗して見せたり、競争するのである。豆をつかむことに熱中し、繰り返し繰り返し努力していたが、いつの間にか、小学校に入学するころには何でもつまめるような握り方になっていたのである。 娘が、自分の子供にはしの使い方を教えている姿を見たとき、本当によかったなと思ったことがあった。 礼儀作法は、しっかりと家庭で教えることが親の義務ではなかろうか。 (上毛新聞 2006年1月11日掲載) |