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県立女子大学長 富岡 賢治さん(東京都中野区)

【略歴】高崎市出身。東大卒。文部省初等中等教育局審議官、生涯学習局長、国立教育研究所長を歴任。03年1月から現職。青少年野外教育財団会長なども務める。

誤った学力低下論


◎座学中心では向上なし

 ゆとり教育のせいで日本の子供たちの学力が低下した。教育内容をもっと増やし、学校五日制の実施などで減らされた教科の時間を増やし、子供たちをもっと勉強させるようにすべきだ、とする意見が世の中で最近とみに強まっている。

 私は、そういう意見に全く賛成しない。

 だいたい日本の子供たちの学力が低下しているという信頼できるデータはない。OECD(経済協力開発機構)の国際比較調査では、日本は依然トップグループにあり、低下しているというわけではない。今どきの若者や子供は勉強もしっかりしていないと見る人は、学力低下が心配だと主張するが、逆に私立中学の受験などで小さいころから猛勉強する子を見たり、夜遅くまで塾通いをしている子を見ている人は、学力低下より勉強、勉強と追い立てられている状態の方が子供たちには心配だと言う。

 私は、根拠のない学力低下より子供たちの体力、運動能力の低下や、野や山で飛び回ったり、街の隅々で元気に遊び回る子供の姿が見られないことの方が、はるかに問題が大きいと思うのだ。

 学力低下を憂うる人たちは、教育内容を基礎、基本的な事項に絞っていこうとする現在の学校教育の改革に異を唱える。この意見も、私は賛成できない。

 今まで、日本の子供たちが授業をどの程度理解しているのかという調査が度々行われてきた。国の調査では、授業が「よくわかる」「だいたいわかる」と答える子供の割合は小学校で約六割、中学校で四から五割というのが、変わらない数字である。大ざっぱに言えば、日本の小中学生の半分が授業がよく分からないで、毎日学校に通っているのだ。

 子供は授業が分かるようになると、学習意欲がわくという国の研究成果がある。子供たちが授業が分かるようになるためには、教育内容が大きな影響を及ぼす。百を教えて五十しか分からないとき、百五十を教えるようにするのか、むしろ百を八十にして、それを丁寧に工夫して教える方が六十になるのか、明らかであろう。勉強が進まない子を前にしたとき、誰ももっと難しい教材を与えることはすまい。より易しい基礎的な教材を与え、子供が分かるように、やる気になるように工夫していくのが普通である。

 学校教育の改革も同じだ。教育内容をよく絞り、知恵と工夫を加えた授業によって子供の力を伸ばすのが最もよい。教育に体験学習の手法を加えたり、総合的な学習の時間の導入などの知恵と工夫を行い、子供たちに新しい視野と学習意欲の上昇の機会を与える。これが学校教育の改革の方向なのだ。

 ただ、座学中心の勉強、勉強では子供の学力はつかない。子供たちがよく遊び、スポーツに励み、自然に親しむ活動に大いに参加できるようにしたり、体験学習を工夫して取り入れた教育を支援することが一番大事なのだ。

(上毛新聞 2006年1月5日掲載)