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うぶすな句会主宰 林 香燿子さん(東京都港区)

【略歴】父の出身地渋川市に小学4年のとき疎開。渋川女子高、日本女子大卒。俳句結社「濱」で活動。濱賞、同人賞などを受賞。「濱」編集同人。俳人協会会員。

子育てと俳句


◎肩を並べて遠くを見る

 愛されずして沖遠く泳ぐなり 湘子

 作者、藤田湘子(一九二六―二○○五年)は、水原秋桜子門流。その自然を対象にした清新な美意識と瑞みず々みずしい叙情は、境涯的私性を超えたところに観照を置いている実力派である。

 この青春性あふれる句を知ったのは子育ての真っ最中であった。ギャング・エージに入ったわが子三人を抱え、折しも高度成長期の企業戦士と化した夫は全く当てにはならず、孤軍奮闘せざるを得なかった。子供たちは特に問題を起こすようなことはなかったのだが、おとなしくて素直であればあるで、従順すぎはしないかと心配。訳も分からず泣けば泣くで不安。何度も壁に突き当たり、自信を失いかけていた。

 俳句は言葉をもって、沈黙、無言の奥を提示するものである。まさにこの句の「愛されずして」の措辞は、育児書、教育書を読みあさり、子供を上から見下ろして、しかっていれば何とかなると思っていた私を、子供の低さで肩を並べて遠くを見つめるという姿勢をたちどころに取らせたのである。

 その昔、自然が神々であったころ、詩歌は神々との唯一、無意識の対話であった。近代詩がようやく百五十年前、ポーからボードレールの肉体を通過して生まれたとしても、それ以前の人々の呪じゅ文もんのごとき呟つぶやきは普遍的凡庸の世界にのみ深々と宗教的暗示をたたえていたわけではあるまい。

 むしろ、その詩歌の姿は誠実で素朴で、時に農事を、時に古老たちの知恵と英断を、時にあらゆる自然とのかかわり方のため来り、また政の約束ごとなどを一句の真率をもって伝承してやまなかった。極言すれば、より現代的ですらあったかもしれない。

 さて、揚あげ句くに戻ろう。作品は一人歩きをする。「愛されずして」は恋のもつれに悩む青年のナルシズムとみるのもしゃれているが、あえて親子の間の愛情表現の行き違いの果ての少年の行動と見るのはディテールとして容易だ。私は光の呪文のようにこの句を唱えては、広い海原を救いの揺よう籃らんとして孤愁の波間をさ迷っている少年を、真っ黒に日焼けしたわが子の寝顔に何度も重ねてみたものであった。

 そしてもし、ずぶぬれでわが子が浜から上がって来たら、親である私のできることは何か。まず理由はどうあれ、しっかり抱いてやることだ、それしかないと思った。では、わが子たちに「愛されて」を実感させるには―。言うまでもない。それからは、一日に一度必ず「褒める」「ぎゅっと抱きしめる」を三人に繰り返し続けた。さすがに中学生になると、痛いよォと笑いながら言って、逃げ出した。それでも私は追いかけた。

 ある時、この句がわが家の食卓に登場したことがあった。一編の小説を評するように子供たちはかんかんがくがく、後日談は悲劇から大団円へと昇華して、やがて自分自身や友人と重ねて一人称的見方ができるようになって終わった。

 湘子はあることで師秋桜子の勘気を被り、しばらく師との距離を置かざるを得なかった、その心境の一句ということだ。後に湘子は「馬酔木」の名編集長となった。

(上毛新聞 2005年12月21日掲載)