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◎見逃せない一群の動向 山野で美しい花に出会うときに、人はそれだけで疲れ切った心や身体を癒やされるものだ。四季折々の日本の自然は日本人のこころに深く、その中に自分と一体となって組み込まれているものであると思うときがある。これまで、人類の歴史の中で自然と人間はまさに利用し利用され、征服し征服され、ときには厳しく、もしくは優しく、わたしたちの生活の一部であっただろう。それゆえに自然を謳歌(おうか)し、心の癒やしをそこに求めるのも、現在のストレスある社会の構成員としては当然の行動であろうと考える。 これからも、そうであるように、地球、宇宙という大きな自然、森羅万象、生きとし生けるものとのバランスの上にわれわれは生きなければならない。いろいろ考えると、これは一本の命の綱を渡るくらい難しく、危なっかしい技であると思う。だからこそ、人間は自然から謙虚に学ぶことを、これからもしなくてはならない。野の花や雑草を見ることなど、地味でたわいのないもののように思われがちだが、われわれが直接的にも間接的にも支えられている植物の一群動向を見逃すわけにはいかないと思っている。 わずかな狭い庭に生えている雑草の草取りを普段はしないが、時々、家への新参者を見いだして驚くことがある。ステルラリア属とは、ハコベ属のことでナデシコ科の中にある植物の一群である。ハコベは万葉の時代から春の七草の一つとして歌われてきた野草である。庭や道ばたに生えている野草なので、たくさんの人が知っているであろう。ステルラリア属の「ステラ」はラテン語の「星」を意味し、晴れた日に、星のように咲くハコベの白い花の様子を形容したものであろうと聞き、なるほどと思う。 ハコベの仲間には、コハコベ、ミドリハコベ、ウシハコベなどが知られているが、どれも満開の時は、その白い花弁が庭や道ばたの一隅で光る星のように感じることがある。しかし近年、この仲間にも大きな変化が起こってきた。私が初めて見たのは平成十五年五月のことである。館林の家の庭に見慣れない「ハコベ」を見つけたのである。形態はコハコベに似ているが、どうも花びらがないのである。 よく見ると、萼片(がくへん)や葉の基部が暗赤色に汚れたようになっているものもあり、花が熟すると萼の基部から落ちる性質があるようだ。茎から伸びた花柄の先に果実の付いていないものが、たくさん観察できた。いつも車の出入りする場所だったので、その車が他に出入りしている駐車場を調べてみたら、そこにも新参者がいたのである。これは、ヨーロッパ原産の帰化植物で、イヌコハコベという。今年四月、前橋のあるお宅の庭で見たハコベはすべて、このイヌコハコベであったのだ。 当然、コハコベの生えるようなところにこの植物があるとすれば、いつの間にかコハコベがイヌコハコベに置き換わっていることになるのではないかと思う。身近なところから、プラントインベーダーの報告をしたい。 (上毛新聞 2005年12月16日掲載) |