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◎好きであることが前提 今から二十五年ほど前、二十八歳の時である。当時、読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)で現役生活という充実期でもあったが、自分たちのトレーニングの後、夕方、学校の授業を終えてクラブに集まって来る中学生チームの指導を任された。当時、プロリーグはないが、生活形態はプロだった。その一選手が現役の傍ら指導するというのは異例中の異例であり、自分自身発想もなかったのだが、先輩の勧めでもあり、実はその時の監督でもあった人物の説得も理にかなっていた。 つまり、自分自身のプレーの見直し、指導者の強化育成、人件費の削減など、一石二鳥以上だったのかもしれない。そのころの中学生チームには、北沢、菊原ら優秀な選手が何人かいた。そして、クラブにいる人間の中から相棒を選んだ。互いに勉強の連続で、何年か二足のわらじをはくのだが、この相棒(現・柏レイソルコーチ、竹本一彦)が私と違いプロ経験者とかではなくサッカーを追究し、分析し咀嚼(そしゃく)できる人物であった。サッカーにおいて違った育ちの出会いにより、いい仕事ができた典型のような気がする。 昨今、いろいろな融合が必要において起きたり、流行の中で起きたりしているが、人の融合のはしりではないかと思うほど、新鮮に仕事ができた。つまり、分かりやすく言うと、サッカーにおいて平面の中、ピッチの中だけの視野、視点が今のように映像から、または別な情報から容易に入る時代ではなく、熱の入った会話やそのほかのコミュニケーションからのみ本物を探る毎日なのである。 彼は俯瞰(ふかん)でサッカーを見る習慣を持ち合わせていた。育成のカリキュラム、プログラムなどがあったが将来の成功、到達例がほとんどなく、自分たちの感性にほれるしかないところがあった。それと、まねする時はすぐなのに人まねが実は嫌いであったのかもしれないが。 そして、その二足のわらじ状態が何年か続くのだが、現役生活としても最高の時代を味わえることになる。リーグ優勝、天皇杯優勝、カップ戦優勝と国内タイトルは全部、現役時代に体験できるのである。自分がピッチでやることや、子供たちに指導することの不一致は許されない。私の東京や神奈川でやるゲームは、見ている子供も親も皆で見にくるという、変なプレッシャーの中でやった覚えがある。 サッカーも難しいが、指導も難しい。ないよりはいいが、ビデオやパソコン、授業や説教、どれも強化育成の中で一手法でしかない。もちろん、すべてそれ以外のコミュニケーションとか、努力とか才能とかも部品でしかない。プロの選手も若手も少年たちも、分からない、気付かないことをたくさん持っているということ、人間後で分かることが多いことも例に漏れない。 あと、時間や歴史が必要なことも忘れてはいけないし、選手が勝つこと、技術を究めることの前提に誰よりもサッカーが好きで、自主性が一番あることも大事だ。指導が徒労に終わらないためには悩みも多いが、サッカーと人生が同じに見えて仕方ないのは私だけではないと思う。指導者として選手ありきの優先を忘れないようにしたいものである。 (上毛新聞 2005年12月13日掲載) |