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司法書士 樋口 正洋さん(太田市浜町)

【略歴】明治大卒。司法書士。群馬司法書士会理事。東上州33観音霊場会会長。太田中央ライオンズクラブ前幹事。群馬法律学校元講師。東京地方検察庁元事務官。

東上州三十三観音霊場


◎秩父に匹敵する達成感

 霊場めぐりが静かなブームを呼んでいる。霊場めぐりとは、観音や不動、また弘法霊場などを巡って歩き、その証しとしてご朱印をいただくことをいう。

 昔ながら盛んなのが、西国、坂東、秩父の百観音や四国八十八カ所めぐりである。これらは平安から室町時代にかけて制定された霊場で、現在でも廃れることなく多くの人々が巡礼の旅に出ている。

 しかし、秩父は別にしても、これらはあまりにも遠く広範囲にわたっている。最短でも十日から一カ月余りを要する。

 そこで、江戸時代になって、地方に数多くの霊場が創つくられた。女性や年配者のため近郊に霊場を制定し、そこを巡ることによって同じご利益を得ようというものであった。

 この群馬にも十を超える地方霊場ができた。とくに観世音は現世利益を得られるというので、庶民の信仰の対象になりやすかった。

 しかし、江戸時代に創られた多くの霊場は、第二次大戦の勃発(ぼっぱつ)や経済の高度成長などによって、人々の価値観に変化が生じ、次第に歴史の中に埋没してしまったのである。

 そのような中で、このたび東上州三十三観音霊場が復活し、話題を呼んでいる。

 東上州三十三観音霊場は江戸時代中期、桐生の尭観(ぎょうかん)上人によって創設された観音霊場で、館林、太田、桐生地区にまたがっている。

 今まで欠番があるといわれていたが、筆者が自分の足で歩き、所在や道順、管理者、納経所などを調査した結果、三十三の寺院が何らかの形で現在に至るまで存続していることが判明した。

 三百年以上たった現在でも、昔ながらの文化がこの東毛地区において息づいていたのである。

 霊場の中には、大伽藍(がらん)を有する寺院やお堂だけのものもあるが、すべての霊場でご朱印がいただける。また、東上州専用のご朱印帳も作製され、霊場事務局や一番納経所などで取り扱われている。

 今まで秩父が最も近郊の霊場であると考えられてきたが、この東毛地区にも秩父と匹敵するような観音霊場が立派に存在していたのである。

 この東上州三十三観音のすべての霊場を巡ったときの達成感や満足感は、秩父に比べて決して劣らない。むしろ地元の霊場に親近感を覚え、再度巡ってみたい気にもなる。

 わたしは、東上州三十三観音霊場を多くの人々に巡ってもらい、東毛地区の文化の素晴らしさを身をもって感じとっていただきたいと思っている。そうすれば、必ずこれからの人生において、健康と長寿を得られ、充実した日々を送れるものだと信じている。

(上毛新聞 2005年11月17日掲載)