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◎時代を吸収して脈々と 京都・祗園花見小路の歌舞練場で催される「都をどり」は京の風物詩として愛され、観光の名所にもなっています。「都をどりは、ヨーイヤサアー」という独特の掛け声で花道に登場する美しい芸妓さん、舞妓さんは、すべて京舞・井上流の門弟で、その修業の厳しさが祗園の格式を守り、芸と人と街がひとつの文化を形成しているといわれています。 「都をどり」を創始した井上流の家元三世井上八千代(本名春子)と、平成十六年に九十八歳の天寿を全うされた人間国宝四世井上八千代(本名愛子)師弟をモデルに書かれた北條秀司作『京舞』が先月、新橋演舞場で久しぶりに上演されました。 『京舞』は三十五年に花柳章太郎の春子、初代水谷八重子の愛子で初演された新派の名作です。 今回は「初代水谷八重子・四世井上八千代生誕百年記念」の追善公演で、カーテンコールの幕が開くと、在りし日のお二人の大きな舞台写真が現れる趣向がありました。 舞台中央に飾られた四世八千代先生の写真は現家元の襲名披露の折、五世八千代を継いだ愛孫三千子さんの門出を祝し九十六歳で舞われた『猩々(しょうじょう)』で、未熟ながら私が撮影させていただいた一枚です。名人四世八千代先生は、小柄ながら余所(よそ)者を寄せ付けない威厳があり、冬の朝のピンと引き締まった空気を感じさせる方でした。写真嫌いで有名とも伺っておりましたので、撮影の機会に恵まれるたびに、粗相があってはならないと行儀見習いの心境で控え、とても緊張しました。それは得がたい緊張感でした。 公演前の「大ざらえ」と呼ばれる舞台稽古(げいこ)のある朝、四世八千代先生はまだ人けのない客席の中央に草履を脱いでいすの上に正座をされ、稽古の始まりを待っていらっしゃいました。ふと立ち上がり、片隅にいた私をじっとみつめられたので、おしかりを受けるのかと小さくなっていると「ええ写真を大きに」と、舞の振りのように美しいお辞儀をされ、「稽古でお構いできませんが、お好きなように撮って結構です」と優しい京言葉でお声を掛けてくださったのです。 古典芸能の世界では「名人、名手、名優と称される方のおそばにいて、同じ空気を吸っているだけでも大変な勉強になる」と言いますが、今でも四世八千代先生の気迫を思い出すと、ひるんだ気持ちがシャンとします。 ボタン一つであらかたの用が足りるこの時代に、たゆみない修業を貫くのは大変なことです。竹本義太夫が残した「口伝は師匠に在り、稽古は花鳥風月に在り」という芸道一途な生き方は「今どきの人には無理だろうね」という嘆きも耳にします。 それでも生涯日々精進を重ね、時間と手間を惜しまない繰り返しが芸の奥深さになっていくのならば、先人の残した心と形は時代を吸収しながら脈々と継承されていくことでしょう。偉大な師を亡くされても、すべてを受け入れて凛(りん)と生きる五世井上八千代さんの京舞のように。 (上毛新聞 2005年11月1日掲載) |