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板倉町民俗研究会会長 根岸 昭雄さん(板倉町板倉)

【略歴】板倉高卒。農業に従事。板倉町議5期。元町議会議長。板倉町民俗研究会会長として伝統文化や民具などの調査、保存活動。著書に「庶民信仰をたずねて」。

台風シーズン


◎大水害を教訓としたい

 今年は、例年にない大型の台風が、次から次へと発生している。特に、アメリカの本土を襲ったハリケーン「カトリーナ」は、ニューオーリンズ州に壊滅的な大災害をもたらした。

 経済大国アメリカは何故、大災害を防ぐことができなかったのか―。不思議に思ったのは、私一人ではないと思う。史上最大級のハリケーンとはいえ、必ず毎年のように上陸し、歴史からも体験済みのはずである。

 防災に対する意識や認識の甘さがもたらした人災の一面もうかがえる。大統領に被害の責任追及が向いているが、地域住民や地元行政機関こそ、責任の重大さに気付くべきである。海水面より低い土地に大型の排水機が一基も設置されていないのは、日本では考えられない。台風の大型化が地球温暖化の一因であるとすれば、今後の防災対策も見直す必要がある。台風王国・日本も、ニューオーリンズの大水害を教訓とすべきである。

 私の町も、五十八年前にニューオーリンズのような大水害に見舞われた経験がある。昭和二十二年九月十五日のカスリン台風である。渡良瀬川の決壊により、町全体が三メートル以上にわたって水没、排水作業に三カ月以上かかり、農作物はもちろんのこと、家屋や道路などが被害を受けた。大災害だったが、死者一人、負傷者が数人にとどまったことは、単なる偶然ではなかった。

 平たん低地であるがゆえに、三年に一度は水害に悩まされた。まさに、水との戦いの歴史だった。被害が比較的少なかったのは、住民の避難対応や水害時の食糧の備蓄など体験上からきた成果の結果だった。カスリン台風の降雨量だが、二日間でわが町に降ったのは二百ミリといわれている。

 戦後間もない山林は、保水力のないはげ山が多かった。山に降った雨は一気に川に下り、利根川と渡良瀬川を決壊、関東平野は一面泥水と化した。カスリン台風を機会に、上流部には砂防ダムや大型の貯水ダムが建設され、堤防のかさ上げなどの水防対策も万全に行われたおかげで、近年は安心して生活できるようになった。ダム不要論を唱える人もいるが、低地に住むわれわれ住民にとっては、貯水ダムの存在は必要不可欠である。利水面からも、一年を通して安心して農作業ができることは、安定した水の供給があったからである。

 「災害は、忘れたころにやって来る」とのことわざがあるが、私の町では水害の教訓を忘れないよう、子供や孫たちへの伝承事業に取り組んでいる。水害体験者であるお年寄りには語り部となってもらい、小・中学生に水害の恐ろしさや、先人たちの知恵や教訓を教えている。また、年に一回は町民全員による避難体験などを実施。避難用の揚げ舟の調査や水塚の保存活動にも力を入れ、水害に強い町づくりに取り組んでいる。

 科学や文化が進んでも、大自然の営みを忘れてはならない。百年に一度、二百年に一度起こるかもしれない水害に対し、備えあれば憂いなしである。

(上毛新聞 2005年10月26日掲載)