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◎現実と真摯に向き合う 「大きな苦しみに遭遇した人は、恨むようになるか、優しくなるかのどちらかである」。二十世紀初頭に活躍したアメリカの著述家、デューラントの言葉です。『贈る言葉』という日本の歌にも「人は悲しみが多いほど 人には優しくできる…」というフレーズがあります。しかし、癒やされない悲嘆を抱えたままの状態は、人間にとって過重な身体的、精神的ストレスとなり、ときには病気の引き金になることがあります。 英国のデータ(M・ヤング等)によると、「五十四歳以上で妻を失った男性の半年以内の死亡率は、同年代の既婚男性より40%も高い」という報告があります。それも心臓疾患が多いことから、喪失の悲嘆はまさに「胸が張り裂ける」(brokenheart)なのです。抱えきれないほどの悲しみが、第二の悲嘆を生む事態になることもよく知られたことです。突然の事故で肉親を亡くしたり、逆縁など、「癒やされる時」が訪れるまでの道のりがかなり険しいと思われる悲嘆があります。 ホスピスケアでは、死別後の遺族ケアも大事なプログラムの一つとされています。群馬ホスピスケア研究会では活動の一環として、死別理由のいかんを問わず、悲嘆のすべてに対して、その悲しみの社会的受け皿になろうと、遺族の悲嘆ケアに取り組んで九年になりました。この間、延べ千人の方々が悲嘆の分かち合いの会に参加されました。会を通じて分かることは、死別の悲嘆は、ただ単にそのことの悲しみだけではないということです。「男は泣いてはならない」「女はけなげな妻でいなければならない」というような固定観念に縛られた精神論や「世間の目」が、多重に当事者をむち打つことがあることをしばしば耳にします。 会では、参加者が互いに他人のことばに耳を傾け聞きます。話したい人は話し、そうでない人は聞き手専門になることもありますが、やがて口をつぐんだ人からも言葉が漏れるようになります。そして互いの体験を共有し、共感する場が生まれます。ときに、悲しみの傷口が涙を流し、おえつすることもありますが、集まっている人は皆そうした辛苦を通り抜けてきた人たちなので、共感しながら受け止め、聴き合います。 やがて、やり場のなかった悲しみのふたが開き、緩やかに流れ、溶け始めるのを感じていくように思います。悲しみにはその人の歩んできた人生と同じように個別性がありますから、すべての人が同じように「解放への道」に到達するという公式はありません。喪失から先どう生きるかは、自分自身が現実と真しん摯しに向き合い、いかに対処するか、それ以外に「魔法のつえ」はないと思います。 デューラントも「悲劇から何を引き出すかは、本人の主体性に因よる」と言っています。「悲しみの本質は愛である」と言った先人もいます。死別の悲しみは、亡くした人との関係性の質と深さに関係しているように感じます。悲しみの傷口にできた瘡かさ蓋ぶたは無理にはがせば血を流します。気が付いたら、いつか自然に癒えていたと思えるような「会」であることを目指し、今後も続けていきたいと思います。 (上毛新聞 2005年10月25日掲載) |