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◎考えたい生きる意味 軟骨肉腫(にくしゅ)のために二十一歳で亡くなった大島みち子さんと河野実(まこと)さんの四百通に上る往復書簡『愛と死を見つめて』と『若きいのちの日記』(大島みち子著)が、四十一年ぶりに復刊されたと知りました。昭和三十八年に出版された『愛と死を見つめて』が翌三十九年四月、東芝日曜劇場でドラマ化されたときには大反響を呼び、一年間で四回も再放送されたほどでした。その年の九月には映画化、年末には「マコ、甘えてばかりでごめんね…」で始まるドラマ主題歌「愛と死を見つめて」が第六回レコード大賞を受賞するという前代未聞の一大ブームを巻き起こしたのです。 多くの人々の心をとらえたのは、そこに軟骨肉腫によって顔半分を切除するという残酷な試練を乗り越え、必死に生きようとしたみち子さんと、その「生」を支えようとした実さんとの純粋でひたむきな愛があったからでした。小学校低学年だった私もドラマに大きな衝撃を受け、涙を止めることができませんでした。 昭和三十九年八月に首都高速が開通、九月には東京モノレール羽田線、十月一日には「夢の超特急」東海道新幹線が営業を開始するなど、東京オリンピック開催に向かっての準備が着々と進められていました。そして待ちに待った十月十日、開会式で赤と白のユニフォームに身を包んだ大選手団の行進は誇らしく、抜けるような青空にくっきりと描かれた五輪の輪のなんと美しかったこと…。 競技が始まると人々は勝敗に一喜一憂し、女子バレーチームに初の金メダルをもたらした大松監督の「黙って俺について来い」の言葉は流行語ともなり、日本人に大きな希望を与えたのでした。しかしながら、最短最速を実現させた科学技術の成果に胸躍らせ、スポーツの祭典の成功に沸き返る一方で、「死」を目前にした若者の純愛に傾倒していったという社会現象に人間の力の無限の可能性と有限性、その心の明と暗といった双方向性を垣間見ることができるように思われます。 不治の病に侵されながらも、残された時間を明るく懸命に生き抜く。「死」を宣告された人間の生きざまを描いたドラマや映画が、最近次々と出てきています。『冬のソナタ』『世界の中心で愛を叫ぶ』の大ヒットからもわかるように、現代人はその心の渇きを純愛ドラマによって埋めたいと欲しているのかもしれません。本当は優しくなりたい、素直になりたい、けれどそうなれない自分…。ドラマに登場する主人公たちに自分を重ね合わせることで、「なれない」私から自分を解放することも可能でしょう。 しかし、「死」に向かう人間の限られた時間を美しく描きすぎることは、「死」への恐怖や葛藤(かっとう)、「生きる」ことの真の意味への苦悩を軽減させることにつながると考えます。『愛と死を見つめて 新版』を現代人はどのように受け止めるのでしょうか。私も数十年ぶりに、過酷な運命に正面から立ち向かっていった二人の若者の姿を見つめ直し、生きることの意味を考えてみたいと思います。 (上毛新聞 2005年10月24日掲載) |